森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

ラストスパートの、二週間。

あしたから(時差のある日本では、きょうから)9月。2019年も残すところあと4か月。三分の一だ。

 

先日、帰国までのノルマを書いた。

 

mori-kei05.hatenablog.com

 

いまのところ、の現状と、ラストの二週間に向けて・・・。 

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1.一日一ニュース。朝ラジオとフランス・アンフォ・ビデオに触れる。

 これはけっこうやっている!よし!

2.フランスの食材を意識する。マルシェ、行く。

 地元マルシェについに(買い物をしに)行った!ブロッコリー、スーパーよりずーっと新鮮だった。「野生イチジク(figue de barbarie)」甘いって言われて買ったけど、たね大きすぎておいしくなかった・・・。調べたらサボテンの実みたい。どおりで、モロッコを思い出したわけだ。

3.在パリ日本人とのネットワーク作り。

 これは、すごくすてきなひとたちと出会えた!こっちに根付く、長くいる人たち。この人たちの活動をフォロー、そしてゆくゆくは言語化したい。

4.在パリ・フランス人とのネットワーク作り。

 これも、まあまあ?エチオピアで出会ったフランス人や、これまでに仲良くなった人たちと再会。少なくとも、過去の私より、だいぶ社交的。

5.帰国までに最低10つの美術館へ行く!

 ああ・・・残りの二週間が勝負。(このあいだ、すでに行ったことのあるロダン美術館へ行って再び「考える人」を見たけど、そのあとは普通に庭でサンドイッチ食べただけ。)あ、でも、ストラスブールで現代美術館と、コルマールで自然博物館へ行った。ここで感じたことについても、おいおい書きたいなあ。

6.一日一区、と決めて、すべての地区をまわる。

 これ、全然・・・。でも、けっこうこの1か月で歩いたのも事実。今度整理する。でも引き続き、回る。  

7.Porte de la Chapelleエリアに通う。アソシエーション探す。

 行ってなかった・・・!行かなくては。

8.誰とでもいいから、とにかく話す。話す。話す。

 これ、がんばっている。

9.いまさらだけど、論文がんばる。規則正しい生活。

 がんばっている。

10.いまここにいることを、全力で楽しむ。

 これも、がんばっている!

 

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最初の勢いはどこへやら、どんどん後半、現在進行形になってしまった。笑 でも、ものすっごく机にかじりついていた10か月ほどと比べて、この1か月は明らかに動いたし、有言実行に近づいていることを感じている(だって、まだ「出来た!」て言えないことでも、始めたり動いたりしていたから)それは自分でも、よしとする。でも、それをアウトプットできていない・・・。どうしても、知的・精神的にいっぱいいっぱいになると言語化できない性分。。。

けど、少しずつ、ここで書くことが出来ていることは、うれしい。ブログを書いて改めて感じていることなのだけれど、日本語は、改めて美しいと思う。

ひらがな、かたかな、漢字。

ルーツは同じでも見た目がまったく異なる文字を使い分け、視覚的にもメリハリをつけながら、直接的や間接的、情緒的、理論的な表現がものすごーい数のバリエーションを持って存在している日本語を、もっと、やわらかく、美しく話せる人になりたい。 

 

 

というわけで、この残りの二週間の追加の目標をここに。

11.一日一ブログ一テーマ。

ここ最近のように、つらつらつらと自分の思ったことを書くのではなく、ちゃんと、テーマを設けて、書く。

12.筋トレ。

ここで突然!健康に気を付けないとね。帰国したらさらに多忙になるわけだしね。

13.荷造り。

ああ・・・。やらなくては。

 

そういえば、先日セーヌ川沿いを友人と歩いていたら、本当に、セーヌ川底から救出されたであろう電気スクーターが山積みになっていた。

 

mori-kei05.hatenablog.com

 

一方で、いまこの記事を書いているカフェでは、ストローが紙製になっていて、確実にエコ意識(ヨーロッパでは特に「脱プラスチックストロー」の動きを感じる)は広がっている。

鳥の目、虫の目を大事に生きよう!と改めて思うきょうでした。

 

みなさんは、どんな風に生きていますか?

 

パリのおすしについて考えたこと。

なんてことのないことなのですが、フランス(ヨーロッパ?)では、おすしが人気。

Sushi Shopは街の至る所にある。パリだけじゃなくて、小さな田舎町であっても。スーパーでも、サラダやパスタやサンドイッチなどのお総菜の横におすしがあることはよくある。だいたい、カリフォルニアロールと、サーモン。ときどきマグロも。

 

でも、そのほとんどが日本人ではなく中国人経営。さらに、誰が始めたのか分からないけれど、なぜか焼き鳥とペアになっていることが多い。

 

フランスのSushi Shopに入ってセットを頼むと、

味噌汁単品(具はマッシュルームの薄切り、ひらひらのワカメ)

甘酢で和えた千切りキャベツ(ジャパニーズ・サラダ、という名前がついていたりする。でもどこからこの品が生まれたのか、いつも不思議)

サーモン、アボカド、きゅうり、チーズ、、、などがベースのおすし、そして選ぶと焼き鳥(焼き鳥はつくねとチーズの肉巻き、サーモンなどが多い)

 

という順番は鉄板。ここに、なぜか食前酒で強いお酒が出たりもする。ちなみにこのおすしが日本人ではなく中国人によるものであることはフランス人たちも百も承知。それでも本当に大人気で、ケバブ屋さんと同じくらいの勢いで街角に立ち並んでいることもある。

ただ、日本人にしてみたら、お米はかたすぎたりやわらかすぎたりするし、お酢がきつかったり、焼き鳥といえど甘いてりやき味一種類だったりと、基本的に不評だ。行かない、というひとも多い。「日本の文化なのに(そんなエセもので商売して)!」と憤る人にも出会ったことがあるし、ネットでもそうした否定的な意見も目にする。

 

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このおすしについて、考えたこと。

 

もともと、パリでは、本当の日本人食を食べるなら「Rue Sainte-Anne(サンタンヌ通り)に行け」と言われる。オペラ・ガルニエの近くにある通りで、その周辺は通称「日本人街」。

ブックオフもあるし、日本のお弁当やさん、日本食スーパーやお好み焼き屋さんなどもあって、日本食を恋しくなった人や日本が好きなフランス人たちで賑わっている。(最近は韓国や台湾などの系列のお店も増えてきています。タピオカも人気。)

 

先日、「本物の日本食が知りたい!」というフランス人の希望で、いっしょに短い動画を作った。

まず、パリの典型的な「"中国"日本食レストラン(Sushi Shop)」を訪ねて、日本人がいるのか実際に聞いてみる。その後で、サンタンヌ通りへ行き、本当の「日本食レストラン」で和食を食べることに。

 

じつは、わたし個人的には「"中国"日本食」も「これはこれ」としてけっこう好きで、お米が恋しくなったとき、チーズやら肉やらはいやだなあ・・・というときに実は私は利用していたりする。でも、改まって店員さんと話すことはなかったので(中国人ってみんな言っているけれど、本当にそうかも分からないので)ちょっとどきどきしながら取材した。

 

結果として、5~6つのこうしたレストランを訪ね、じっさいに店員と話して気づいたこと。

・店員さん、やっぱり日本語は分からない。(日本語で話しかけると「ノンノンノン!」と断られる)

・「日本人の方はいますか?」と聞くと、「店長は日本人だが、今日はいない」と答えること。(すべてのお店のひとがそう答えた。マニュアルでもあるのかなあ。)

・だいたい、青とか紫のネオンがある。そして店内の内装は黒ベース。(日本人からしたらちょっとムーディーというか、おいしくなさそう、、、)

・セットメニューに「サムライ」とか「フジ」とか、ぜったい日本人じゃ使わないワードがついていることが多い。

 

これはこれとしておいしいんだけど、やっぱりどう考えてもこれは「日本食」ではない。いっしょに訪ねたフランス人と話をしながら、これは「和食」ではなく、「ヨーロピアン和食」というジャンルなんだろうな、と思った。

海苔ではなくライスペーパーで巻かれたおすし(米×米)も、焼き鳥と言いながらもどっちかといえば「てりやきチキン」みたいな味も、マッシュルームのお味噌汁も。

 

そして、そのあとサンタンヌ通りの定食屋さんに入って「これこそが本当の日本食?」とわくわくするフランス人たちに問われて、考えたこと。

そこで私たちは冷や奴と肉野菜炒め、そして冷やし中華を頼んだんだけど。

・・・これだって、「ジャパニーズ中華」じゃないか?ということ。

 

肉野菜炒め、ラーメン、餃子は、もともと中国からきたもの。日本人ならだれでも食べたことがあるであろうカレーは、インドからきたものだ。

「和食です!」と胸張っていいのかしら・・・と不意に考えてしまった。

でも、私にとってはまちがいなく「懐かしい味」であり、私自身たべた瞬間、思わず「あ~これこれ、わあ、なつかしい!」と口をついて出た。

 

そうなのです。

 

思ったのは、どんな「食」だって、いろんな国や地域や文化の違いを吸収し、取り入れ、融合させて進化してきたのだということ。

 

もちろん、「本当の和食」を追求することは大事だし、やっぱり、パリのSushi Shopで「日本の寿司はおいしい(もしくはおいしくない)」と判定して欲しくはない。

でも、「"中国"日本食レストラン」のおかげで、フランス人たち(ヨーロッパ人たち)が和食に親しみを覚えてくれていることは事実だし、それが本当の「日本食」と違っていても、それは当たり前なのだ。材料も違えば舌も違うのだから。むしろ「広めてくれて、アレンジしてくれて、ありがとう」と思ったのでした。

 

「あんなのはまがい物だ!」と怒るより、そうした違いや進化を楽しめた方が、きっともっと楽しい。

それに、文化も、そうして発展していくんだろうと思う。

一年間の総括、そのさん。

先日ふたつ書いた総括に続き。

 

「すまい」って、大事だな。ということ。

 

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じつは、こちらに来たばかりの頃、家が決まっていなかった。

 

そんなこと、よくあることだ、と思うかも知れません。

そうだけど、そうなんですけど、

やっぱり、じわじわと精神的に疲労がたまるのです・・・。

 

来る前に決める、もしくはせめて候補を立てておくとかすれば良かったのだけど、直前までものすごく忙しくて、ほとんど夜逃げのように荷造りをして出てきてしまった。

基基本的に身軽が好きなので、スーツケースひとつとボストンバッグひとつのみで。

(スーツケースは規定の大きさの範囲内で最大のサイズ。そしたら重量オーバーで空港で1万円かかった。。悲)

 

その二つの荷物と共に、ホテルと友人宅を渡り歩きながら探すことになったのだけど。

 

フランスに着いて数日後に始業式、次いですぐ授業が始まったので、それも余計に影響したのかもしれない。

まだ行きつけの図書館とかカフェがあるわけでもなく、予習・復習しなくてはちっとも理解出来ていないことを嫌と言うほど自覚しながらも、そもそも家を探さないといつまでたってもこの状況から抜け出せない。

 

。。。

 

私自身は恵まれたことに友人たちが快く泊めてくれ、そのおかげで激高のホテル滞在費を数泊分はおさえることが出来たけど、ひとのおうちにお邪魔することも、これまたやっぱり、申し訳なくて。。

 

「帰ることの出来る場所」「じぶんの"巣"」って、精神の安定にとても大事なのです。

 

先行き不透明だったもうひとつの理由として、時期が時期(9月下旬)だったから不動産の動くタイミングを逃してしまっていた、ということもあると思う。

いろんなサイトを見てもほとんど部屋のアナウンスはなく、あったとしても基本的にどこも女中部屋(フランスに良くある、建物の最上階の部屋。7階とか8階がざらな上に、10㎡以下の狭さ。私が見たのは6㎡とか7㎡)。まず、くるくるまわるらせん階段をその高さまで、重量オーバーしているスーツケース持って上がる自信がなかった(これは歳のせいかもしれない・・・)。しかもそんなに安くなくて。しかも時期もずれているから大家も早く入居者が欲しいから、催促強め。

 

フランス人向けの不動産のアナウンスも見たんだけど、そっちだと、契約するためには銀行口座とか収入証明とか出生証明書とかやたらと必要な書類が多くて、そもそも銀行は住まいがないと開けられないのに開けているはずがなくて、交渉するほどの費用対効果が見込めず、断念し・・・。

 

・・・なんかもう、日々「しょんぼり」ということばがぴったりの心持ちだった。

 

けっきょく、最後にもう、困って頼った有料の留学生向けエージェント(アパートを紹介する手数料をとられる)が、「ここしか紹介できません(これで無理ならお代はお返しするのでうちでは案内できません)」と言われたアパートが、

自分が一番住みたかった地区で、

4階(女中部屋じゃない!)で許容範囲、

小さいけれどそれまで見た部屋と比べ明らかにきちんと整っていた

ので、即決したというわけで、「終わりよければ全てよし」ではあったんだけど。

 

ずっとスーツケースとボストンバッグをもって、日々の泊まる場所(ホテルだったり、友人宅だったり)を回ったんだけど、「身ひとつ」って、これまで感じた以上に所在なくて。

 

なんか、この経験をきっかけに、すごくホームレスのひとのことを考えたのです。

そして、ホテルや友人宅だったら心配いらないけど、ホームレスのひとたちって、常に「身ひとつ」だから、たとえば洋服とか食べものとか拾った「財産」があったとしても、それを常に持ち歩かなくちゃいけない。そういう状況が、就職だとか、生活再建に踏み込みづらい理由になっている、と、のちのちジャーナリスト仲間に聞いた。

(ホームレスのひとたちの持ち物なんて、だれもとらない!と思うかも知れないけど、捨てられちゃうかも知れないし、ほかのホームレスにとられちゃうかもしれないし、やっぱり自分の持ち物を放置するって心許ない気持ちは同じだと思う。)

 

 

日本では「家に帰りたくない」というひとたちの話題も耳にするけど(女子高校生とか、サラリーマンとか・・・ちなみに私も大学生まで「家にいたくない」人間で、できる限り外に出ていた)。

でもやっぱり、地震とかの災害が起きたり、大雨が降ったり、不安で心細くなったりしたとき、自分の部屋のふとんにもぐりこみたい、って思う気持ち、だれにでもあると思う。

 

生まれたときからあたりまえに持っているもののありがたみって、じつはなかなか実感する機会がなかったりするのだな、と思ったの。

 

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ちなみにそうして見つけたパリのすまい、入居数日後に水漏れ(給湯器が古すぎて)、数週間後に子ネズミの出現など、まあトラブルもあったけど、良い思い出だ。

と、思っていたら、じつは日曜日の夜に家に帰ってきたらなぜか我が家だけ停電していて、月曜から出張だったので、「帰ってきたら直ってるかな?」と思っていたら、昨夜帰ってきても直ってなくて。。。

けさ、冷蔵庫の中身の現実と向き合いました。悲

なにがつらいって、冷蔵庫ないこともだけど、料理できないこともだけど、充電できないこともだけど、、、何より、お湯がでないこと。悲

水が止まっていないことが不幸中の幸いだけど、シャワーが水シャワーなのです。

 

夏でよかった。フランスの夏は20度以下になることもよくあるけど・・・。

 

正直、電気か水かと言われたら、水のほうが大事だと改めて実感。水がないとトイレもシャワーもダメになるし、手も洗えない。

・・・という問題ではなく。

 

こういういろんなことがあったから、人間って、たいていの不便でも生きていける、って改めて思う。

日本はサービスの不具合にとても敏感で、ある種、過剰なところがある。

電車が多少遅れたって死なないし(それよりも電車で飛び込み自殺をしてしまうひとたちを助ける仕組みを考えた方が良い)、お店のひとも人間なんだから間違えることもあるし、遅刻することもある。

 

と、いうことを改めて感じる1年でした。

 

それにしても、電気、早くなんとかしたい。

道に迷った日。

行きの道すがらには気がつかなかったことが、帰り道だとふと目にとまる、ということがある。

 

先日、ある通りを2回目に通ったとき、不意に、まっしろな壁とピンク色の花がとてもすてきな家に「一階の借り主募集中」の大きなポスターが貼ってあることに気づいた。

1回目に歩いたときはまったく気づいていなかったので、つい、「あれ、道を間違えた?」と思った。本当にとてもすてきな家だったので、最初にその家のポスターに目がとまらなかったことが不思議に思えたのです。

そして、思わず通りを元来た道を戻って、なんどもうろうろしてしまったのでした。

(そのとき、携帯の電池が切れてしまっていて、ナビも見られず、自分のうろ覚えの記憶を頼りに道を歩いていた。)

最終的に、街のバスの路線案内に書かれたざっくりとした地図をもとに、「来た道であっている」と判断し、無事に帰ることができました。 

 

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何が言いたいかって、ひとというのは自分が認識して始めて「理解」できるわけで、世の中には、自分の認知に入っていないたくさんの事実や世界があるのだな、ということ。そして、単に自分が気づいてなかったくせに、都合良く解釈しようとすることだ。

 

そう考えると、私の見ている世界なんて、なんと偏って小さいんだろうなあ、と思う。たとえば私はネットに詳しくないので知らないことだらけだし、フランスだってまだまだ本当に部分的にしか知らないし、日本であっても、ごまつぶのような知識しかない。(世界の広さと豊かさを考えたらごまつぶというよりミドリムシとかミジンコくらいの大きさかも・・・)

 

まあ、そんな中でも、自分の知識が限られたものであると自覚はしつつ、出会って(理解しうる)ことを少しずつ自分の理解で深めていくしかないのだなあと、思いました。

以上、道に迷ったある日の経験から、考えたこと。

 

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、、、というわけで、そんな今日に偶然目にとまり、偶然わたしの関心を惹いたに過ぎないアメリカのニュースについて。

www.francetvinfo.fr

トランプ大統領が、メキシコなどからやってくる移民たちに「(アメリカを目指してやってくる)気持ちをくじく」ために、子どもの拘留の無期限化を要求した、というニュース。

現時点では、子ども、そしてその親は21日で解放されるそうで、それが「1か月以内に自由になる」ということでアメリカを目指す気持ちを助長している、とホワイトハウスは言っているらしい。

この要求が通れば、2か月以内には実行が始まるとのことだ。

ちなみにトランプは「そもそも思い出して欲しい。子どもと親の引きはなしを始めたのはオバマで、彼が牢屋を作り、私はそれを引き継いだだけだ」と述べている。

 

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以前、フランスの「極右」とよく言われるマリーヌ・ル・ペンが言っていることは、単純に「フランスを日本のようにしたいだけだ」という記事を何度か読んだことがある。

 

日本の移民や難民に対する強硬・閉鎖的な態度は世界的にも有名、批判されているけれど、その事実は、じつはあまり日本のひとたちのあいだではきちんと認識されていないように感じる。 

https://www.buzzfeed.com/jp/yoshihirokando/redfugee-japan?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharecopy

いま時点で移民に対して強硬なことを言っているトランプやイタリアのマテオ・サルビーニなどの主張も、ものすごくざっくりしてしまえば、日本のやっていることとそんなに変わらない。

 

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ただ、じゃあ日本は日本のままで、トランプやサルビーニの意見を支持、でいいのか?といえば、違う。

そもそも、難民はいのちの危険に差し迫って、移民はよりよい暮らしを求めて、母国を離れて別の国を目指す。

もちろんその点できちんと、その必要性(理由)がどちらかを見極めなくてはいけないのが大前提なのだけれど、移民だって、「よりよい生活」を求めているのなら、母国で目指せば良いはずだ。

それが出来ない事情はなんなのか。

を、考える必要があるのではないかと思う。

受け入れの難しさ、止めどなく押し寄せる人々など、現実の厳しさを想像に固くないけれど。

やっぱり現代は、「断絶」じゃなくて「相互理解を目指す(少なくとも、目指せる)」時代ではないかと思うから。

 

皆さんはどう思いますか。

アジアでもいつか。

今日は、私がすきなテレビ局の話。

 

それは、Arte(アルテ)という、フランス東部アルザス・ロレーヌ地方のストラスブールに拠点を持つテレビ局だ。

「ドイツ・フランスの文化・ドキュメンタリーチャンネル」で、半分ドイツ、半分フランスの公共テレビがが出資している。

www.arte.tv

 

いくつか好きな理由があるのだけど、まず何よりドキュメンタリーの映像がきれい。たとえナレーションが分からなくても、映像を見ているだけでも美しい。

そして、いろんな国のいろんな話題を取り上げる。ドイツとフランスに限らず、ヨーロッパのほかの国、アジア、アメリカ、、、いろんな国のいろんな風土を見つめる。自然も。

 

ちなみに、このテレビ局はフランスとドイツがつくった公共チャンネルなのだけど、いくつかの点で特殊。

まず、二カ国で、というところ。1990年10月2日にフランス・ドイツ間で結ばれた条約によって作られたため、国家の規制下にない。

ちなみに財政面では、95%が受信料によってまかなわれている。(フランスとドイツで半分ずつ。)のこりは、独自の収入源(おそらく広告や番組の販売など)

1980年代、ヨーロッパが共同体として共通貨幣(現在のユーロ)を作ろうと動き出していたとき、フランス人ドイツ人ともに、互いの文化を理解し合い、ヨーロッパ統合に向けて近づくための共同チャンネルを作ろうとしたことから生まれた。

フランス語、ドイツ語のみならず、英語、スペイン語、ポーランド語、イタリア語も放送を見ることができるので、ヨーロッパ市民の70%が直接Arteの番組を視聴することができる。

 

ちなみに、ストラスブールのあるアルザス・ロレーヌ地方というのは、フランスとドイツの国境すぐそばにある。鉄鉱石と石炭が採れる豊かな地域でもあるため、歴史的にずーっと、フランスとドイツはこの地域を取り合ってきた。

普仏戦争でプロイセン(ドイツ帝国)が勝ち統治、

第一世界大戦でドイツが敗北してフランスが領有、

第二次世界大戦でナチスがフランスを破り自国に編入、

しかしその後フランスが最終的に連合国軍として勝ち再び領有。

以降、いま現在の国境。

 

以前、パリでこの地方出身のおじさんと話したことがあって、おじさんの両親や祖父母の代の話をしてくれた。

統治国が変わるたびに、何度も公用語がドイツ語とフランス語のあいだで行ったり来たりしたのだそうだ。たとえば「明日から"今日まで話していた言葉”を話してはいけない」などという理不尽なことも。

だからこの地域の多くの高齢者はフランス語もドイツ語も理解する。

 

そんな風に歴史に翻弄されてきた地域に、そんな歴史的に対立してきた2国が、共同で「文化チャンネル」を作った、ということが、どれほどすごいことか、分かると思う。

 

ものすごく端的に言えば、竹島に日韓の文化チャンネルのTV局を作ったり、尖閣諸島に日中の文化チャンネルのTV局を作ったようなものなのだ。

(もちろん、こっちの場合は島だし、居住者はいないし、いろいろと違うけれど!)

 

文化って、その違いによって対立やいがみ合いの種になり得るけれど、やっぱり互いを理解し合うためにとても重要だ。

Arteの番組は、かといってフランスとドイツのものに限らず、ほかのヨーロッパの国についてはもちろん、アメリカだとかアジアだとか中東だとかさまざまな地域の話、自然に関する話題も多く取り上げている。そんなところも好き。

(いちおう、放送される番組の85%がヨーロッパで共同製作されたもの。)

 

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ちなみに、

フランス人とおしゃべりしていると、みんなテレビ局についてはかなり辛口で、「くだらない」「しょうもない」「見ない」とさんざんな言われようなのだけど、

Arteについてだけはほとんどのひとが「良い局」「すばらしい」と言う。それも面白かった。

こらへんは、フランス人がドキュメンタリーとか映画とか、映像作品が好き、という性質的なものもあるのかもしれないけど。(wikipediaのArteの説明を見たら、フランスとドイツで視聴率が二倍くらい違ったので!)

 

まあとにかく、ドキュメンタリーを作る端くれとして、こんな風な豊かな映像で、ゆったりとした編集で、かつ自国に限らずさまざまなテーマを扱うアルテの制作現場には、やっぱりあこがれがあるわけです。

 

日本で番組を作るときって、たいていは「日本人」が中心だ。

でも、世界には70億人もの人が生きていて、そのうち日本人なんて1億2千人に過ぎないわけで、日本人ばっかり見つめていても、「わたしたちがいま生きる世界」が分かるわけないじゃないか、と思う。

それに、移民や外国ルーツの人たちがどんどん増えている現代において、いまだに良く分からないふんわりした定義の"日本人"にこだわるのも、ナンセンス、だと正直感じる。

 

いつか、アジアでもArteのような共同チャンネルを作って、韓国や北朝鮮、中国、台湾、香港やいろんな国の人たちといっしょにドキュメンタリーや放送を作れるようになりたいなあ。

一年間の総括、そのに。

昨日に続き、もうひとつ、総括を。

 

ふたつめにつれづれと考え直したのは、言語について。

 

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フランス語を話せるという事情を話すと、よく「なぜフランス語を選んだの?」と聞かれる。いつも、ものすごく返答に困った。

「バレエやフランス文学が好きで・・・」とか「服飾/モードを勉強していて・・・」と言った、明確で美しい答えを持ったひとたちに、たくさん出会ったことがある。

たとえば国際結婚をしてフランス語を学ばざるを得なかった、というような、これもまた明快な理由を持つひとたちにも、出会ったことがある。

 

でも、私には正直、「これ」と言った理由はなかった。

 

 

本当に正直に言うと、高校の時には、バングラデシュの言葉(ベンガル語)を勉強したくて進路を考えた。

そして、英語に次ぐ第三の外国語として集中して学ぶことばについては、チェコ語とベトナム語とフランス語で、最後の最後まで悩んでいた。

 

その共通点って何なんでしょう。

誰にも答えられないと思う。

私にも答えられないから。。。

 

 

ただ、「英語」ではない、何かを学びたかったのです。

あまのじゃくな性格から、「英語じゃない外国語を話したい!」という思いだけは強く持っていた。

当時はすでにマクドナルドやスタバは社会にありふれていたけれど、Google、Amazon、Facebook、Apple、そしてNetflixなんて、ほとんど存在も知らなかったころ。

なんであれほど無意識に「英語じゃない何か」を求めていたのか謎だけど。。(いちおう、英語も好きです!)

 

最終的にフランス語にしたのは、ラテン系なのでそこからイタリア語、スペイン語への展開が可能そうだと考えたこと。(ドイツ語は英語から展開できると考えた。単純過ぎ。)

スペイン語やロシア語の「巻き舌」がどうしても出来なかったこと。(フランス語のRの発音なら出来ると考えた。)

アジアの言語は、親戚のなかにすでに話せる人がいたので(ここもあまのじゃく)違うところへ行きたかったこと。

国際社会ではフランス語が第二言語と見なされていること。

高校時代、映画にはまっていて、ハリウッドよりどっちかというとヨーロッパのひねくれたエンディングの映画が好きだったこと(たぶんここもあまのじゃく)。

そして、もうひとつ、英語とフランス語が分かれば、アフリカに行けること。

 

ちなみに、数年前からの自分自身への疑問として「なぜアラビア語を考えなかったのか」ということは、少々悔いています。なぜか、思いつかなかったのです。当時。

9.11以降、少なからず戦争やイラク、アフガニスタンなど、意識の中にあったにも関わらず。。

だから、アラビア語やペルシア語、トルコ語など中東の言語をたしなむひとたちへのあこがれと尊敬が、強くあります。

 

ただ、そんな、きれいにひとつにまとめられない、様々な中途半端な理由からフランス語を選び、選んだからにはきちんと話せるようになりたい、と多かれ少なかれの努力を継続して、今日に及びます。

ちなみに、ドイツ語は挑戦したけど英語とぜんぜんちがくて初歩の初歩で挫折、フランス語の壁がすでに厚すぎていまのところスペイン語とイタリア語に展開するまで及んでおりません。。言語というものは、それほど難しい。

(友だちにバイリンガルの子がいるのだけど、彼らってとても言語センスに長けていて、すっといろんな言語の初歩を身につけてしまうの、ものすっごくうらやましい。もちろんみんながみんなじゃないけど。)

 

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フランス語を選んだことを後悔しているか、といえば、まったくしていません。

英語とはまたちがった美しい表現、英語の世界的波及に負けないようにと国をあげて対抗してきたフランスという国の根性、文学や歴史の厚みや哲学、そして、フランス語を学べたことで関われたアフリカの国々との個人的な関わり。

どれも、フランス語を選んだからこそ知ることが出来た。出会うことが出来た。

どれも、わたしのなかの世界を大きく豊かに広げてくれた。

 

でも。

学べば学ぶほど、日本と違う視点を持てば持つほど、感じることは、いかに世の中の規範やルール、秩序が、ヨーロッパ主体で作られてきたか、ということ。

いかに国際社会が、彼らによって良いように扱われてきたか、ということでもある。

もちろん世界史でも学んだレベルだけど、、、

それはいまの国際社会でも、続いていることを、こっちで暮らしていると、肌で感じるのだ。なんか、仕組み上でも、彼らの思考回路でも。

何しろ考え方や仕組みのベースを作ったのが彼らなのだから、そりゃそうだ。

・・・だけど。

なんか、ずーっともやもやもやもやしているんです。

 

中東、アフリカ大陸、ラテンアメリカ、そして東アジア。

 

日本は日本で、歴史がある。

全体から見たら、ものすごく変わった国だと思うけど。外から見てもその特殊さをすごく感じるけど。

でも、大好きな人たちが日々を生きていることを知っている。すてきな視点を持って、社会の中で生きていることを知っている。

 

フランスに強いあこがれも持たずにフランス語を始めて、英語もフランス語もそれなりに使えるようになったからこそ、改めて、世界秩序の中の「強者」(フランスや英語)側ではなく、ひとつひとつの国やひとの声が伝わる世界をつくっていきたいな、と、強く思うようになった。

 

それが、この1年できちんと言語化できるようになったこと。

1年間の総括、そのいち。

不定期になるかもしれないのだけど、2018年から2019年にかけて日本を離れて、仕事も離れて、いろんな意味で、現実とも自分とも幽体離脱をした身から、この1年で感じたことをひとつひとつ、ことばにしていきたいと思う。

 

まず、ひとつめ。

 

歴史。

 

人間の歴史って、なんて短いのだろう。そして、人の一生って、さらになんと短いことか。

 

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公共政策を勉強していて改めてびっくりしたこと。

なんだか人権やらいろいろ進んでるって思われがちな(少なくとも私は思っていた) ヨーロッパだって、基本的に、いろんな社会保障制度は戦後につくられた。

たかだか、70年や80年、へたしたらもっと短い歴史のなかでの話だ。

それにくらべて、

フランス革命とか、「鎖国」とか、「文明開化」とか、

ものすっっっごい昔のように思っていても、実は200年とか300年前なのだ。

いまのおじいちゃんおばあちゃんが80歳くらいまではだいたい生きていることを考えたら、ひいじいちゃん、ひいばあちゃんの時代くらい、身近なものなのだ。

 

ひいじいちゃんとかひいばあちゃんって、世間的には遠い存在なのかな?

でもよく考えると、じぶんのお父さん(お母さんでもいいけど)の、お父さん(お母さんでもいいけど)のお父さんかお母さんだよ。

わたしはアラサーと表現される世代の人間だけれども、両親、祖父母ともに健在だ。そのさらにもうひとつまえ、を想像することは、そんなに難しくない。

 

や、もちろん、生身のおじいちゃんおばあちゃんや、とうさんかあさんを目の前にして妄想はさすがに出来ないけれど、昔のアルバムなんかを見せてもらうと、おじいちゃんやおばあちゃんであっても、ぴちぴちしてて、人生の選択肢に迷っていて、なんていうのが、写真から透けて見えてくる気がする。

じっさい、だれもが子どもであった時代があって、年を重ねてきたわけだし、男であり女であり、人間なのだ。

じぶんの人生から死ぬまで(死んだあとも?)逃れることの出来ない、人間なのだ。

 

□■□■□

ヨーロッパって、地震がないこともあって当たり前(ではないけど、日常的)に、すごく古い建物が残っている。

私が前に住んでいたアパルトマンは17世紀のものだったそうだし(石造りの階段はななめにすり減っていて、5階だった住まいも床そのものが傾いていた)、今住んでいる家も、おそらく100年以上は経っている。

 

だから、「歴史」を感じる。日常的に。

 

それもあるのかもしれない。

日本の街からは、歴史のにおいがほんとうに、消し去られてしまったのかもしれない。街を歩いていて、たとえばスーパーから家に帰るとき、歴史に思いをはせる機会は早々ない。

(フランスだと、歩いているだけでも「17世紀」「18世紀」とかの建物ばっかりだし、実際文字でさえ目にする機会が少なからずある。)

 

歴史のにおいがある、なしに、関わらず。

歴史は歴史。

起きたことは起きたことだ。そんな中にいま生きるひとは、どう生きる?

 

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小さな村の生物博物館で、ミイラの作り方を知り、ミイラを見て、あらためて、歴史の中の自分たちに思いをはせた今日でした。

 

そう。でもね、だから。

 

1945年以来、日本自体(国内)では戦争が起きていないのだけど、だからいま生きていて社会で活躍(活動)している人の多くは「戦争を生身で感じていない」わけだけど。

それって人間の人生が短いから、っていうだけに他ならない。

 

いますごく思う。

フランスと日本の圧倒的な違い。

その違いが何かっていったら、

フランスは、たとえブレグジットが起きても、たとえトランプとの仲がすごく悪化しても、ヨーロッパ大陸では「早々簡単に戦争が起きない」状態になっているの。

フランスとドイツってずっと犬猿の仲で、言うなれば日本と韓国のような感じで、近いし、近いのに違うから、惹かれあい関わり合い反発しあうような間柄なのだ。

でもなんでフランス・ドイツはいま違うかと言えば、

いろんな反省を積み重ねて、彼らは歴史に向き合って、反省し、EU(EC)のような協定を少しずつ少しずつ積み重ねてきたから。

もう二度と起きないかといったら約束は出来なくても、かなり、いろーーーんなことがなければ、ヨーロッパ大陸で戦争なんか、簡単に起きないと思う。

 

それに対して日本は?

 

第二次世界大戦後、少しでも解決に向かったことがあっただろうか。

日本と中国と韓国と北朝鮮、そして台湾と香港。タイやベトナムなど東南アジアの国々。歴史を清算したか。あらたな一歩を踏み出したのか。

 

清算もせず、一歩を踏み出しもせず、なんとなしに生きて、いまを過ごしているのが私たちなのだと思う。

 

ドイツの歴史教育を知ったら、日本の歴史教育って何なんだろう、と思ってしまうのだ。