森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

1年間の総括、そのいち。

不定期になるかもしれないのだけど、2018年から2019年にかけて日本を離れて、仕事も離れて、いろんな意味で、現実とも自分とも幽体離脱をした身から、この1年で感じたことをひとつひとつ、ことばにしていきたいと思う。

 

まず、ひとつめ。

 

歴史。

 

人間の歴史って、なんて短いのだろう。そして、人の一生って、さらになんと短いことか。

 

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公共政策を勉強していて改めてびっくりしたこと。

なんだか人権やらいろいろ進んでるって思われがちな(少なくとも私は思っていた) ヨーロッパだって、基本的に、いろんな社会保障制度は戦後につくられた。

たかだか、70年や80年、へたしたらもっと短い歴史のなかでの話だ。

それにくらべて、

フランス革命とか、「鎖国」とか、「文明開化」とか、

ものすっっっごい昔のように思っていても、実は200年とか300年前なのだ。

いまのおじいちゃんおばあちゃんが80歳くらいまではだいたい生きていることを考えたら、ひいじいちゃん、ひいばあちゃんの時代くらい、身近なものなのだ。

 

ひいじいちゃんとかひいばあちゃんって、世間的には遠い存在なのかな?

でもよく考えると、じぶんのお父さん(お母さんでもいいけど)の、お父さん(お母さんでもいいけど)のお父さんかお母さんだよ。

わたしはアラサーと表現される世代の人間だけれども、両親、祖父母ともに健在だ。そのさらにもうひとつまえ、を想像することは、そんなに難しくない。

 

や、もちろん、生身のおじいちゃんおばあちゃんや、とうさんかあさんを目の前にして妄想はさすがに出来ないけれど、昔のアルバムなんかを見せてもらうと、おじいちゃんやおばあちゃんであっても、ぴちぴちしてて、人生の選択肢に迷っていて、なんていうのが、写真から透けて見えてくる気がする。

じっさい、だれもが子どもであった時代があって、年を重ねてきたわけだし、男であり女であり、人間なのだ。

じぶんの人生から死ぬまで(死んだあとも?)逃れることの出来ない、人間なのだ。

 

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ヨーロッパって、地震がないこともあって当たり前(ではないけど、日常的)に、すごく古い建物が残っている。

私が前に住んでいたアパルトマンは17世紀のものだったそうだし(石造りの階段はななめにすり減っていて、5階だった住まいも床そのものが傾いていた)、今住んでいる家も、おそらく100年以上は経っている。

 

だから、「歴史」を感じる。日常的に。

 

それもあるのかもしれない。

日本の街からは、歴史のにおいがほんとうに、消し去られてしまったのかもしれない。街を歩いていて、たとえばスーパーから家に帰るとき、歴史に思いをはせる機会は早々ない。

(フランスだと、歩いているだけでも「17世紀」「18世紀」とかの建物ばっかりだし、実際文字でさえ目にする機会が少なからずある。)

 

歴史のにおいがある、なしに、関わらず。

歴史は歴史。

起きたことは起きたことだ。そんな中にいま生きるひとは、どう生きる?

 

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小さな村の生物博物館で、ミイラの作り方を知り、ミイラを見て、あらためて、歴史の中の自分たちに思いをはせた今日でした。

 

そう。でもね、だから。

 

1945年以来、日本自体(国内)では戦争が起きていないのだけど、だからいま生きていて社会で活躍(活動)している人の多くは「戦争を生身で感じていない」わけだけど。

それって人間の人生が短いから、っていうだけに他ならない。

 

いますごく思う。

フランスと日本の圧倒的な違い。

その違いが何かっていったら、

フランスは、たとえブレグジットが起きても、たとえトランプとの仲がすごく悪化しても、ヨーロッパ大陸では「早々簡単に戦争が起きない」状態になっているの。

フランスとドイツってずっと犬猿の仲で、言うなれば日本と韓国のような感じで、近いし、近いのに違うから、惹かれあい関わり合い反発しあうような間柄なのだ。

でもなんでフランス・ドイツはいま違うかと言えば、

いろんな反省を積み重ねて、彼らは歴史に向き合って、反省し、EU(EC)のような協定を少しずつ少しずつ積み重ねてきたから。

もう二度と起きないかといったら約束は出来なくても、かなり、いろーーーんなことがなければ、ヨーロッパ大陸で戦争なんか、簡単に起きないと思う。

 

それに対して日本は?

 

第二次世界大戦後、少しでも解決に向かったことがあっただろうか。

日本と中国と韓国と北朝鮮、そして台湾と香港。タイやベトナムなど東南アジアの国々。歴史を清算したか。あらたな一歩を踏み出したのか。

 

清算もせず、一歩を踏み出しもせず、なんとなしに生きて、いまを過ごしているのが私たちなのだと思う。

 

ドイツの歴史教育を知ったら、日本の歴史教育って何なんだろう、と思ってしまうのだ。