一年間の総括、そのに。
昨日に続き、もうひとつ、総括を。
ふたつめにつれづれと考え直したのは、言語について。
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フランス語を話せるという事情を話すと、よく「なぜフランス語を選んだの?」と聞かれる。いつも、ものすごく返答に困った。
「バレエやフランス文学が好きで・・・」とか「服飾/モードを勉強していて・・・」と言った、明確で美しい答えを持ったひとたちに、たくさん出会ったことがある。
たとえば国際結婚をしてフランス語を学ばざるを得なかった、というような、これもまた明快な理由を持つひとたちにも、出会ったことがある。
でも、私には正直、「これ」と言った理由はなかった。
本当に正直に言うと、高校の時には、バングラデシュの言葉(ベンガル語)を勉強したくて進路を考えた。
そして、英語に次ぐ第三の外国語として集中して学ぶことばについては、チェコ語とベトナム語とフランス語で、最後の最後まで悩んでいた。
その共通点って何なんでしょう。
誰にも答えられないと思う。
私にも答えられないから。。。
ただ、「英語」ではない、何かを学びたかったのです。
あまのじゃくな性格から、「英語じゃない外国語を話したい!」という思いだけは強く持っていた。
当時はすでにマクドナルドやスタバは社会にありふれていたけれど、Google、Amazon、Facebook、Apple、そしてNetflixなんて、ほとんど存在も知らなかったころ。
なんであれほど無意識に「英語じゃない何か」を求めていたのか謎だけど。。(いちおう、英語も好きです!)
最終的にフランス語にしたのは、ラテン系なのでそこからイタリア語、スペイン語への展開が可能そうだと考えたこと。(ドイツ語は英語から展開できると考えた。単純過ぎ。)
スペイン語やロシア語の「巻き舌」がどうしても出来なかったこと。(フランス語のRの発音なら出来ると考えた。)
アジアの言語は、親戚のなかにすでに話せる人がいたので(ここもあまのじゃく)違うところへ行きたかったこと。
国際社会ではフランス語が第二言語と見なされていること。
高校時代、映画にはまっていて、ハリウッドよりどっちかというとヨーロッパのひねくれたエンディングの映画が好きだったこと(たぶんここもあまのじゃく)。
そして、もうひとつ、英語とフランス語が分かれば、アフリカに行けること。
ちなみに、数年前からの自分自身への疑問として「なぜアラビア語を考えなかったのか」ということは、少々悔いています。なぜか、思いつかなかったのです。当時。
9.11以降、少なからず戦争やイラク、アフガニスタンなど、意識の中にあったにも関わらず。。
だから、アラビア語やペルシア語、トルコ語など中東の言語をたしなむひとたちへのあこがれと尊敬が、強くあります。
ただ、そんな、きれいにひとつにまとめられない、様々な中途半端な理由からフランス語を選び、選んだからにはきちんと話せるようになりたい、と多かれ少なかれの努力を継続して、今日に及びます。
ちなみに、ドイツ語は挑戦したけど英語とぜんぜんちがくて初歩の初歩で挫折、フランス語の壁がすでに厚すぎていまのところスペイン語とイタリア語に展開するまで及んでおりません。。言語というものは、それほど難しい。
(友だちにバイリンガルの子がいるのだけど、彼らってとても言語センスに長けていて、すっといろんな言語の初歩を身につけてしまうの、ものすっごくうらやましい。もちろんみんながみんなじゃないけど。)
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フランス語を選んだことを後悔しているか、といえば、まったくしていません。
英語とはまたちがった美しい表現、英語の世界的波及に負けないようにと国をあげて対抗してきたフランスという国の根性、文学や歴史の厚みや哲学、そして、フランス語を学べたことで関われたアフリカの国々との個人的な関わり。
どれも、フランス語を選んだからこそ知ることが出来た。出会うことが出来た。
どれも、わたしのなかの世界を大きく豊かに広げてくれた。
でも。
学べば学ぶほど、日本と違う視点を持てば持つほど、感じることは、いかに世の中の規範やルール、秩序が、ヨーロッパ主体で作られてきたか、ということ。
いかに国際社会が、彼らによって良いように扱われてきたか、ということでもある。
もちろん世界史でも学んだレベルだけど、、、
それはいまの国際社会でも、続いていることを、こっちで暮らしていると、肌で感じるのだ。なんか、仕組み上でも、彼らの思考回路でも。
何しろ考え方や仕組みのベースを作ったのが彼らなのだから、そりゃそうだ。
・・・だけど。
なんか、ずーっともやもやもやもやしているんです。
中東、アフリカ大陸、ラテンアメリカ、そして東アジア。
日本は日本で、歴史がある。
全体から見たら、ものすごく変わった国だと思うけど。外から見てもその特殊さをすごく感じるけど。
でも、大好きな人たちが日々を生きていることを知っている。すてきな視点を持って、社会の中で生きていることを知っている。
フランスに強いあこがれも持たずにフランス語を始めて、英語もフランス語もそれなりに使えるようになったからこそ、改めて、世界秩序の中の「強者」(フランスや英語)側ではなく、ひとつひとつの国やひとの声が伝わる世界をつくっていきたいな、と、強く思うようになった。
それが、この1年できちんと言語化できるようになったこと。