森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

師走。

師走ですよ。

12月。

一年間をおおまかに均等に12のブロックに分けて、その最後の1ブロック。

 

西向くサムライ小の月。

 

って小さい頃ならって、そのまんま、

2月4月6月9月11月が、短いんだなあ・・・

っていまも思っているけれど、世界全国で(イスラムとか旧暦を用いる国は除いても、基本的には)

この、「ひとつきは30日もしくは31日。2月だけ28日ときどき29日」っていうルールあるの、

すごいなあって思う。

世界にも、こういう「西向くサムライ小の月」みたいな表現ってあるのかしら。

 

さて。。

そんなことよりなによりも、日本に帰ってきてからの時間の流れが早いこと早いこと・・・。

時間どろぼうに、時間ぬすまれっぱなし。

 

きょねんのパリでの1年間分くらいがもうすぎちゃった感じ。

とにかくぎゅうっと、濃い。仕事のせいもあるのだろうな。仕事のおかげ、なのか。

特に、1年間、難易もアウトプットしなかったので、出したくて出したくてたまらず、とにかく提案して番組化に向けてつっぱしっていたところはある。あと、修士論文と。

 

濃いのはとっても良いことなんだけど、やっぱり、きちんと生きていたいので、なんだかかんだか・・・。

のこりはなんと、30日と少しですよ。

計画的にすごそう。

やるべきこと。

 

小論文。

職場に出す報告書。

台湾。

宮城。

アフリカ。

あと、たくさんのひとたちとの思い出作り!

 

 

一歩一歩。着実に。。。

取材をする立場としての葛藤とつぶやき。

またご無沙汰していて、いますごく精神的に余裕がなくて、でもいまのところ待つしかなくて。

なので、最近、あるひとの一言でふっと久しぶりに感じた「もやっ」をここに吐き出しておこうかと思う。

(吐き出す、なんてことばを使っているのもたぶん、やっぱり心の余裕がないから。余裕がないと、とたんにじぶんの弱さが出てくるのですよね・・・)

 

□■□

先日、同業者のひとたちと、食事の機会があった。

そのひとたちを、私は仕事の面からもとても尊敬していて、ひととして大好きだ。

 

話の最後に、一緒に食事をしたひとのひとりに、東北について、聞かれた。

どうやら、取材をしたいと考えていて、私の知っているひとや場所を教えて欲しいと。

それはとてもうれしいことで、知っていることを思いつくままに伝えた。

(でも、基本的に、そのひとのびびっとすることと私のびびっとすることが重なることって珍しいと思うし、私がつらつらとあげても、私の本当に知っていること・感じていることは伝わっていないと思う。)

 

「できれば、その土地の生活に実際に入って知りたいんですよね」と彼女は言う。

その言葉尻に、民家など一般の方で泊めてくれるようなひと、という意味合いを感じた(これま仕事の場をともにした機会に、彼女の人との接し方や関係の作り方を見て、そういうスタイルなんだろうな、と思ったから)。

 

ただ、私の知っているお世話になったたくさん方々を、本人たちの意向も最近のことも把握しないままに紹介することには抵抗があって、当たり障りのないひとや場所を挙げるにとどめた。

 

来週にでも行くことになりそうで、と笑う彼女。

食事の最後に、何気なく、「わたしきっと、すぐに泊めてもらう家を見つけると思います」ってにっこり言っていて、私は、ああ、きっとそうだなあ。と思った。

彼女はきっと、あのひとなつっこい笑顔と無邪気さで、きっと東北にまたあたらしい”家族”を見つけるのだろう。

 

と同時に、じぶんのこころが小さくずきっとして。

 

わたしは東北にいるあいだ、ほとんど、取材先の家に泊まることはなかった。もちろん何度かあったし、いまでもいつも会いに行く大事なひとたちは東北にたくさんいるのだけれど。

子どものころからずっとひとに甘えることが苦手で、あまりにもお世話になることに対して、申し訳ない気持ちになってしまうのだ。

そして、やっぱり何より、彼らが生活を立て直すのにさえも苦労しているようすをずっと見てきたから。

 

漁師や農家や、地元の行政。

働いて、稼いで、つつましくも豊かな生活をしている東北のひとたちをおそった東日本大震災は、彼らからほんとうにたくさんのものを奪った。

着の身着のままで生き延びたひとたちは、あらゆる生活品を買いそろえ、家を修理し、もしくは再建して、ようやく生きてきた。

そのようすを間近で見てきたからこそ、食事一回をごちそうになることも、とても、恐縮するのだ。話している中で、彼らが貯金をすこしずつ切り崩して生活していることを、耳にするから。

 

だから、わたしは、どうしても彼女みたいな根っからの無邪気さを持てない。

じぶんひとりの食事、とはいっても、じぶんひとりの水道代、といっても、すぐに、気にしてしまう。

じぶんのちっぽけさがいやになるのだけれど、でも、その感覚を間違っていない、とも、あたまのかたすみでもうひとりの自分が言う。

 

取材って、相手の懐に入っていくことであって、そこには図々しさが必要だ。

わたしは自分の図々しさを知っている。と同時に、臆病さも知っている。

 

彼女とわたしは違う。

でも、どうしても、東北で聞いたたくさんのひとたちのつぶやきがいまも耳に残っているわたしは、「泊めてもらおう」って、簡単には言えなくて。

どっちも間違っていなくて、どっちの選択もいいと思うのだけれど。

 

じぶんにないものを、うらやましがっているだけなのかもしれない。

パリの最後の一週間で起きた不幸(※ややふちゅうい)の記録。

きょうは生々しさをだいぶ忘れそうになりつつの、1か月ほど前の一週間のあいだにおきた、不幸(不注意)の備忘録。

 

① 停電に続く電気工事

9月あたまの週末に、ストラスブールに行ったのですが、その直前の夜、友だちの家に食事にお邪魔をして0時近くに帰宅したところいっさいが停電していて。

荷造りもできていなかったのだけど、何しろ明かりがないと準備できないので、早朝出発ではあったのだけど、わけもわからずひとまず寝ました。

起きても電気は戻っていなくて、ひとまず日の出のほのかな明かりをもとに荷造りをして、ストラスブールへ出発。停電について思い当たる原因もなくて、だから、帰ってくる頃(4日後)には直っているのではないか、と思っていました。

・・・が。

4日後にパリに戻ってきても、停電は直っておらず。

悲劇は冷蔵庫。冷凍のミックスベリーが溶け出て大変なことになっており、中華スーパーで買ったお気に入りの絹ごし豆腐は発酵して膨らんで大変なことになっていました。。

そこでバカンス中の大家さんへ連絡したものの(パリでは基本的におうちのトラブルはすべて大家さんに手配してもらう)、大家さんは電気屋さんを呼びたくない(お金がかかるから)ので、大家さんとSMSでやりとりしながら模索すること半日。それでも直らず、ちょっと強めに言って、電気屋さんに来てもらったのです。

が、原因はあっさりとわかり、ブレーカーの中のねじが弱って接続が悪くなっていただけで、すぐに直してもらったのだけど、それ以外にみっつも、工事が必要だと指摘され、けっきょく最後の一週間の火曜日の朝に工事に来てもらうことに。

もはや自分はすぐに出るのだけれど・・・と思わず言いそうになったけれど、せっかくなら家を良い状態にして最後出た方がいいかな、と思って、工事をしました。

ちなみに何を工事したかというと、キッチンの明かり(入居時から切れていてすぐ大家に言ったけどスルーされていた案件)と、アース(家全体の電気配線にアースがなかった。ふつうに危険。)と、ブレーカー内の配線の交換。

 

これはわたしの不注意ではなくて、どっちかというと単純な不幸だけれど、思えばこのアパルトマンは、入居以来いろいろな不幸に見舞われて、良い思い出っちゃ良い思い出なのかも知れない。いま思うと。

 

② スリ

はい。

スリにあいました。。。

まわりの友だちが軒並みヨーロッパでスリにあったことがある中、 これまでいちども遭遇したことがなかったのだけれども。

って、経験したあとに言うのは、負け惜しみですね。

 

現場はメトロ1番線。ルーブルや凱旋門など、いちばん観光名所をとおるメトロで、日本語でスリ注意喚起のアナウンスがされるほどなのだけれど、その日はちょうど、友だちや日本のひとたちへのプレゼントやお土産を買った直後で、両手に紙バッグを持っていて、最後の一週間だったこともあっていろんな予定が詰まっていてあたまのなかにいろんな考え事がめぐっていて。

ぼーっとしていたことは否めません。

そして、リュックのいちばん上に財布をのっけていて、「あぶないかな~」とぼんやり思ったことも、覚えています。

でも、さらりと鮮やかにすられまして。

友だちとランチの待ち合わせの直前、メトロ降りた直後に気づいて、友だちにその現場に合流してもらって、銀行やクレジットの会社に連絡して、ランチはキャンセル、そのあとの待ち合わせも一時間遅らせてもらって。

とほほ。

という感じでした。ほんとうに。

みんな、外国いるときは、一瞬たりとも気をぬいてはいけません。

それはリュックを前にかかえなくてはいけない、という訳ではなくって、「可能性がある」ということをあたまの中に入れておく、ということ。

最悪のケースを考えておくだけで、最悪のことはおきらないと思う。

という、こころの叫び・・・!

 

しかもそのあと呆れたのが、同じメトロの駅から泣く泣く家に帰るためにメトロにふたたび乗ったら(定期は別にしていたので被害なし)、その階段でまたスリにあいそうになったらしく、外国人観光客に「バッグあいているよ!」と注意されたこと。気づいたらリュック全開になっていた。

 

 

のこりは明日に。

灰色の男たち

ここ数週間、灰色の男たちに時間をぬすまれていました。

 

 

 

・・・と言って、もしも、わかってくれるひとはいるかしら。

いたら、嬉しくなってしまう。

 

灰色の男たち、というのは、ドイツの作家、ミヒャエル・エンデの作品「モモ」に出てくる「時間どろぼう」のこと。

 

フランスから帰国早々にものすっごい勢いで滝にのみこまれたかのようにさっそく取材の旅に出ています。

それはそれで、とてもうれしく、日々たくさんの刺激を受けていて。

けど、思考に言語化がおいつかなくて、仕事をこなすのにいっぱいいっぱいになって、まったくことばが出てこない日々が3週間ほど続きまして。

 

これじゃ、いかん。と思って、久しぶりにこのページを開いたわけです。

 

フランスでの日々の言語化もままなってないまま。

 

さて、どこからはじめようか。

 

いまいるのは、エンデの国、ドイツ。

わたしはそんなに教養も深くないし趣味も広くなくて、音楽も映画も本も、びびっという出会いやおすすめされて気に入ったものを手元に置いて、ときどきふりかえってかみしめるのが好きなのだけれど、そんななかでも「モモ」は、とくべつな一冊です。

 

あ、いま、こころに余裕がなくなっているな

 

と思ったときに、読みたくなる一冊です。

「モモ」は、時間がなんなのか、ひととひとが出会うとはどういうことか、をやさしく教えてくれる。もしくは、思い出させてくれる。

 

いまの世界はどんどん、灰色の男たちに時間をぬすまれている。

わたしも。

 

□■□

じつは、エンデの名作と言われる「はてしない物語」を読んだことがない、ということにきのう気づいたのだけど、「モモ」は何度読んだことだろう。(帰国したら「はてしない物語」も読んでみよう・・・。)

 

 おわり。

つぶやき

もうすぐ日本に帰るのです。

もうすぐ仕事に帰るのです。

もうすぐ、いろんな現実に向き合うのです。

 

この1年は、なんていっても「アラサー」ならではのあらゆる問題から解き放たれて、ひとりで肩書もなーんにもない「学生」に戻ったわけです。

ときにはふらふらと街をさまよい、日が暮れるのを忘れるほどに勉学に没頭し、食費を気にしてけちけちを節約するような、そんな、不便だけれど切なくて貴重な時間を、7年ぶりに取り戻したわけです。

 

それって、かなりとってもものすごく貴重な時間ですよね・・・

 

どうしても、生きていると(とくに女性は)あらゆる圧力に向き合わなくてはいけない。

「結婚はまだなの?」

「子どもは?」

「老けたね?」

「太ったね?」

等々・・・。

 

ほっといてほしい。

 

そのひとの人生はそのひとだけのもので、親でさえも最後まで責任をとれないわけだし、そのひとの選択がすべてなのだ。

 

と、思っても、現実はそれを許してくれない。

世間体や、仲間内の空気や、「常識」なるものや、いろんなものが、自由に生きることを邪魔する。

 

でも、外国、まったく自分のバックグラウンドを知らない場所、へ行くと、そうした面倒くさいことからつかの間離れることができる。

自分をしめつける呪縛がいかにばかげているかも、気づかせてくれる。

 

外へ行った方が良い。いろんなひとと話した方がいい。

世の中は、私たちが思うよりずーっと広くて、複雑で、豊かなのだ。

 

この世とあの世、の概念について思ったこと。

昨日、友だちとお寿司(前に書いたフランスのおすしじゃなくて、本物!)を食べに行ってきた。

mori-kei05.hatenablog.com

 

とってもおいしくて、なんていうか店内の匂い(空気?)自体が日本で、もうしみじみと(あじとか、イカとか、、、サーモン以外食べてないこと久しく)うれしかったのだけど、お寿司に加えて面白かった発見があったので。

 

□■□■□

友だちと、「最近映画に行った?」という話をしていて、このあいだ見た「海獣の子ども」の話をしたとき、「日本のアニメって、難しい(おとな向けだよね)」という話になった。

(フランスは日本の映画がとても人気で、特にアニメはかなり人気なので、ほとんどのアニメ映画はこっちでも間をあけずに公開されている。)

 

友だちは同い年なのだけど、前に親戚の4歳の子どもと「未来のミライ」を見に行ったとき、「なんで妹なのに年上なの?」と根本的なことを聞かれて説明できなかったのだと。

www.allocine.fr

それで、「君の名は」なんかさらに難しくて、たぶん子どもだとこんがらがっちゃうよね、という話になって、

www.allocine.fr

「おとなと子どもがどっちも見て楽しめるのって、ジブリくらいじゃないかな?」と私が言ったら、友だち曰く「ジブリもよくわからないところがある」と。

 

どんなところかを訪ねると、

「千と千尋の神隠しで、どうしてちひろのからだが見えなくなったのかとか、不思議な世界に行ったことをどうして親は覚えていないのかとか。トトロで、なんで子どもはトトロが見えるのに大人は見えないのかとか。」

と言う。

 

□■□

それって、考えてみたことのなかった点だったのだけど、確かに日本に暮らしていると、「神隠し」だとか「不意に異空間に行っちゃう」とか、"この世"と"あの世"の境界にある「三途の川」だとか、ジブリを見るにあたっての「土台」があるなあと思ったのでした。

それで、日本だと、座敷童とか神隠しとか、そういう「生者の世界にいる不思議な存在」というものが、小さい頃から身近に感じられる、という説明をして、「ゲゲゲの鬼太郎」を紹介した。

www.toei-anim.co.jp

 

確かに海外で日本のアニメは大の人気で、ドラえもんはもちろん、キャプテン翼とかセーラームーンとかアタックナンバーワンとかはもちろんかなりニッチなものまで普及しているのだけど、「ゲゲゲの鬼太郎」って、ものすっごく日本っぽいなあって。

 

だって、主人公自身が「妖怪」で、毎回異なる種類の「妖怪」が出てきて人間の世界に悪さをして・・・っていうストーリーを、毎週日曜日の朝に子どもむけに放送している。その影響力の大きさたるや、すごくないですか?しかも、かなり前からずーっと。

もちろんそれをまるごと子どもが信じるわけではなくても、自然に「日常に"不思議なもの"が潜んでいる」と想像するようになる。「トイレの花子さん」とかだっておんなじだ。

こういう概念とかこういう文化って、フランスにはない。

 

エクソシストとか、ゾンビとか、もちろん死者がよみがえるホラーの概念はこっちにもいるけれど、それとはぜんぜん違う、世界のとらえ方なのだ。

 

あたりまえだけど、ジブリがホラー、といいたいのではなくて。

日本人は、「千と千尋の神隠し」を見たときに自然と、「ああ、ちひろは、不意に"不思議な世界"に迷い込んだのだなあ」と受け止めるし、トトロだって、「さつきとめいは、森の "不思議" に触れたんだなあ」と、こころのどこかで受け止めている。だから、おとなが見えなくても、なんにも違和感を抱かない。

 

友だちと、お互いの経験した「不思議な体験」について話しながら、改めて、日本とフランスの違い(というか、日本の独自性というか?)を感じたのでした。

日本って、宗教が特定されないところも独特。ベースにきっと「八百万の神」の信仰があることも大きいと思うけれど、「神様」とか「あの世」の概念を信じているのに、その哲学はふんわりしている。

 

おもしろい気づきでした!

 

ちなみに、わたしもけっこう不思議な体験を身近に生きてきたけれど、彼女はペール・ラ・シェーズ墓地というかなり大きな墓地の近くに住んでいるから、不思議な経験をかなりしていて、お寿司を食べたあとに夜道を歩きながら聞くの、けっこう普通に怖かったです。。。

 

パリ18区。

18区と言ったらもう、だいすきな、モンマルトルの丘。

そもそも、悩んだときは高いところでぼーっとするのがすきなわたしは、落ち込んだときにはとりあえずモンマルトルへ行こう、という傾向にある。

18区は、パリの北部に位置する。東西を17区と19区に囲まれていて、南に9区と10区が接している。9区はちいさいので、歩いて行くとすぐに2区や1区にまで着いてしまう。北側はやっぱり、環状道路ペリフェリックを境に郊外に接している。

メトロの4番線の終点ポルト・ド・クリニャンクール(Porte de Clignancourt)には大きなのみの市があるので、その治安へのイメージの割に、訪れるひとは多いのではないか、と思う。この地区への思い入れやら思い出やらは、たっくさん。

そんななかでも、自分の中でとくに大きな記憶。

 

□■□

ひとつめは、やっぱり、ポルト・ド・ラ・シャペル(Porte de la Chapelle)。 

前に少し書いたように、じぶんの中ではずっと引っかかっている場所。(ちなみに、パリには「難民街」と言われるところはほかにもあります(19区))。

 

mori-kei05.hatenablog.com

 

トラム3b線は、ずっとペリフェリック沿いを反時計回りにまわっていくので、これまで書いた20区、19区を車窓から眺めることができる。郊外のようすは、パリ中心部の賑やか華やかなものとは違い、道路はさらに広々としているし建物の背丈はさらに低い。お店の表情も、区内とはようすが違う。あまり店が多くないのと、たまにアフリカやトルコなど移民系のお店がある。そして何より、たぶん観光客がいない分、ひとが多くない。

だけれど、ポルト・ド・ラ・シャペルの近くはようすが違う。正確に言うと、そのポルト・ド・ラ・シャペルのひとつ前のコレット・ベッソン駅(Colette Besson)とディアヌ・アビュ駅(Diane Arbus)のあいだ。道路上にたむろしている若者の数が違うのだ。というよりも、それまでいっさいいなかった若者が、一定距離ごとに車道に座っておしゃべりしたりスマートフォンを見たり、ただぼーっとしていたりする。若者たちは明らかに、ルーツがアフリカ系のひとたち。見るからに「暇そう」、そしてそれがたくさんいるのだ。

さっき書いたもうひとつの難民街として知られる19区のほうは、段ボールに「シリア難民家族」や「助けて」などのことばをフランス語で大きく書いて掲げる家族連れが多かった。それに対して、ポルト・ド・ラ・シャペルは、若者が "たむろしている" という印象だ。

ただ、気を付けなくてはいけないのは、

ポルト・ド・ラ・シャペル = 危険 / 無法地帯 ではない

っていうこと。

もうすこしきちんと理解してから帰国したい、と改めて思った。

 

ふたつめは、バルベス・ロシュショアール駅近辺(Barbès-Rochechoart)。

まず、この名前は私にとってつねに挑戦だ。発音の面で。

フランス語ではまずRはのどでうがいをするような発音になる。それがこの人単語の中で3回出てくる。ややこしい。ので、ずっと前から印象に残っている。

というのは別としても、一度行ったことがあるひとなら印象に残るのではないかと思う。何しろいつ行っても改札の近辺に常に黒人の男性が多数立っていて、何かの紙をしきりに配っているのです。その光景が「ザ・バルベス・ロシュショアール」という感じ。

ちなみにあの紙きれ、なんなのだろう・・・?見ると、すぐそばにたくさん捨てられてちらばっている。私は、分からないものは受け取らないようにしている(とくにモンマルトルエリアなどは黒人など移民系のひとが無理矢理押し売りをしようとしてくる場合がある)ので受け取ったことはないのだけれど。

こうした、駅そのもののエキゾチックさや、あまり治安がよくない事情から、昔から安宿が多くある。私も、特に学生時代はこのエリアの短期アパルトマンを借りることが多かった。

治安は別として、個人的にももともとパリのおしゃれな雰囲気よりアフリカやアジアが好きなので、このメトロ近辺の空気はまったく違和感がなかったのだ。いちばん楽しかったのは、学生時代に1か月くらいこの近くのアパルトマンを借りて、友人たちとシェア生活をした思い出だ。

モンマルトルも近いし、異国情緒あふれているし、安いし、親しみあるお気に入りのエリアだった。

・・・のだけれど、2016年、同時テロ一年後に取材で訪れた際、現地に長く暮らす日本人コーディネーターさんにどきっとすることを言われた。

どうやら、この地区の住宅には、近年テロリスト予備軍でもあるひとたちがたくさん潜伏していて、アジトもあるし、それどころか街角のカフェで作戦会議していたりするというのだ。

確かに、とくにシリアなどの難民危機が大きくなってから、以前にもましてこのエリアの人混みは大きくなっている気はする。そして、この地区から少し北の道路に入ったところには、無許可の滞在者(いわゆるサン・パピエ)が違法に路上販売をしている常設違法マルシェのようなとおりがあって、そこでは「他者(よそもの)」に対する警戒心にあふれてぴりぴりしていた。

こんな光景は、以前にはなかった、と思う。

いや、もしかしたら気づいていなかっただけかも知れないけれど、もともと細道をうろうろ歩くのが好きな性分で、近辺もだいぶ歩いていたと思うので、たぶん、前はこれほど大きくなかったと思う。

気軽に行けるエリアではなくなってしまったのが、残念だ。いや、もちろん、まだ行けるし、通りかかってすぐに危険なことがあるわけではない。ただ、時間帯や服装、そして周囲のようすにきちんと注意する必要がある。

 

みっつめ。これはもう、モンマルトル。

最初のふたつにもネガティブな情報を書いてしまったけれど、そうしたことをもってしてなお、18区は、行くべき。そして、きちんと事実を受け止めることは大事だと思うし、その上で、きちんと魅力は魅力として満喫することがだいじ、だと私は思う。

 

モンマルトルの丘は、友だちが来た場合には必ずといっていいほど連れて行く(少なくとも欠かさず提案する)。

だって、ここほど自由でのびのびしている空間って、あんまりないと思うのです。何より、芸術家たちが愛した地区だけあって、小道を歩いているだけではっとする美しい風景が広がっている。しかも、いろんな。

石畳の小道に軒を連ねるカフェ、木漏れ日の広場、細くて急な階段と黒くてすらりとした手すり、そして壁に自由に描かれた落書き、どこからともなく聞こえてくる音楽。こぢんまりとしたブドウ畑や、芸術家たちが昔集ったキャバレー、ふいに置かれたベンチ。

それに、いちばん好きなのは、いつも混んでいるんだけど、サクレ・クール寺院の前の大階段。混んでいるんだけど、やっぱりここで座って見下ろすパリは、美しい。それに、よくいる大道芸人さんが音楽を奏でていて、ぼーっと聞きながらまちを眺めているだけで、こころが落ち着くのだ。

ぎっしりと立ち並ぶアパルトマンと、その上にはいまは使われなくなった煙突が立ち並んでいて、

ああ、こんなにも世の中にはたくさんのひとがいて、ずーっと昔から、怒ったり、泣いたり、笑ったり、食べたり、踊ったり、けんかしたり、そういう風にしながら生きてきたんだなあって、しみじみと感じられる場所なのだ。

 

常に町並みが変わっていく日本では、こういう場所ってなかなかない。

モンマルトルの丘に、私は何度来たんだろうと思う。そしてこれからも、何度行くのかな。

f:id:mori_kei05:20190903182146j:plain

5月。