森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

思いつくままに書いてみる所信表明。

むずかしい!!!!

 

 

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ブログとツイッターを始めて2週間くらい?だけど、すでに毎日更新が出来ておらぬ。。。始めにたてた目標が、これじゃあダメダメじゃないか。

 

原因はいくつかあって、いま論文をふたつ抱えているのだけど、ついそっちを進めようとするとこちらのブログがおざなりになること、そちらで出し切ってしまって余力をこっちに回せていないこと…でもそれでもやろうと始めたのだ。やらなくちゃ。

 

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ひとまず、まだ何をどう発信するかも模索中で、その日ごとに、フランス既存メディアの和訳なのか、個人的な取材記なのか、はたまた個人的な所感まとめなのか、それさえもころころ変わっているのだけど…それはちょっともう、おためし期間だということで、大目に見ることにする。(誰も見ていない中でなので、自分で自分を大目に見る、と言うことに過ぎないけど…)

 

なぜブログとツイッターを始めたのか。

 

それは、「発信力」を磨きたいと思ったからだ。

私のように大手メディアでディレクター(番組制作者)として働いていると、黙っていても「発信」の機会はやってくる。っていうか、それが仕事だから当たり前か。

だけど、番組制作は数週間、下手したら数ヶ月かけてこつこつこつこつと取材し、交渉し、ロケし、編集し…となるため、いまの現代社会のスピードに追いつけない。いや、追いつけないことはないけど、少なくともネットとは違う時間軸で働くことになる。そして、制作期間は必然的にほかのテーマを追いかけられなくなるし、仮に個人的に追いかけていても発信出来ない。

 

もちろん私は、こうして時間をかけて取材して発信する "情報の質" をとても大事なものだと考えているので、いまの仕事にはとてもとても満足している。

(私自身、この2週間で痛感しているように、器用にすすすっと思考をまとめてかたちに出来るようなタイプではなく、どちらかというとじっくりうろうろ迷いながら思考をまとめてことばを紡いでいくタイプだと自覚している。)

 

でも、それをもってしてなお、現代社会の移り変わりは本当に早くすさまじく、立ち止まって考える隙間さえ、下手したら奪われかねない世界だ。その象徴が、ツイッター。

そして、「誰もが好きに発言出来る」インターネットを手にした私たちの生きる現代社会は、本当に多くすさまじく、うろたえてしまうほどの情報が届き続ける世界だ。その発信形態のひとつが、私はブログだと思う。

 

10年前、初めて海外留学したとき、まだスマートフォンはiPhoneとブラックベリーしかった。それもものすごく高くて、ほとんどの人が使っていなかった。パソコンのネット環境はものすごく遅く、wifiを「ワイファイ」と読むのか「ウィフィ」と読むのか、それさえ知らなかった。

Googleマップなんかないから、初めての場所を訪ねるときは、本当に地図を片手に住所を調べながら訪ねるしかなかった。分からない情報はひとに聞くか、mixiとかのコミュニティで経験者談を探すか、外国の日本人コミュニティを頼るか。

 

ああ、懐かしい。

 

今回の海外留学で驚いたのは、情報アクセスの圧倒的な簡単さだ。

だって、スマートフォンに知りたいワードを入力するだけで、どこかの誰かが、それをすでにブログに書いているんだもの。

たとえば滞在許可証について、たとえば外国での米の炊き方について、おいしいレストランは、アパートの相場は、美容師さんは、、、。

 

なんていう、便利な世界!

 

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だけど、「便利」というのは諸刃の剣でもある。

 

苦労して得た情報の重さ(身にしみ方、とでも言おうか)と、

苦労なく得た情報の軽さ(分かった気になる、その分、抜け落ちるのも早い)は、

実は、ほんのちょっと、だけどかなり、違うのではないか、と。

 

一夜漬けで詰め込んだ知識はテストが終わればすぐに忘れてしまうし、

こつこつ毎日繰り返して暗記した知識は、10年たっても覚えている。

(そのおかげで、10年以上前に暗記したアルベール・カミュの小説の原文、まだ覚えていますからね…)

 

 

先に書いたように、

私は情報を調べ、整理し、発信する、という仕事を生業としているので、もともとそうした作業をしているわけだけれど、そのスキルをもっと上げたい。そして、この情報があふれる現代世界で、少しでも質のよい情報を発信出来るような地力を身につけたい。

 

そう思ったのが、今回、ずっと手を出してこなかったブログとツイッターを始めた、大きな理由なのだ。

 

・・・と、ようやく自分のもやもやしてきた考えを整理できたのだけど、さて、これからどうしようか。発信力を身につけたい、と思っていたものの、"どんな" 発信力かまでは考えてなかった。。。ということにいま気づいた。汗

 

思うのは、フランス語、英語、日本語の、私の使える三つの言語を生かして、俯瞰的に、横断的に、社会をひもときたい、ということ。

そして、生きている中で自分自身が体感する社会の世相を、記録しておきたい、ということ。

その結果として、ひとりでも多くのひとに読んでもらえて、何かのきっかけとなるような情報を発信出来るようになりたい。

 

ううーーーーむ。

ちょっとひとまず引き続き、模索の期間は続きそうだ…けど、一日一更新、というのは、きちんと守っていこうと思う。どれほどしんどくても、多少かたちが変わろうとも。

きょうは、自分の思考を整理できたから、よしとする!

 

ということで、また明日。