森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

こころに残る、傷の深さ。

毎日、続けられていないけれど、めげずに、ひとつひとつ。。。

 

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きょうは、先日フランスで報道された、パリ同時テロ事件に関係するニュースを。

 

まず、パリ同時テロ事件とは、

2015年11月13日、パリ郊外のサン・ドニにあったサッカースタジアム、そしてパリ10区・11区の複数の地区が次々に襲撃された事件のことだ。

この襲撃によって、130人が犠牲となり、400人以上がけがを負った。犯人グループも、自爆テロなど含め7人が亡くなった。

レストランやバーのテラスなど、金曜の夜のひとときを楽しんでいたたくさんの市民が突然襲われた。誕生日パーティーのさなかだった人たちもいた。なかでももっとも被害者が多かった現場となったのは、アメリカのロック・グループ「イーグルス・オブ・デス・メタル」がライブをしていたコンサート会場、「バタクラン劇場」だ。音楽を楽しみに来ていた人々に向けて、突如現れた3人の "ジハーディスト" が銃口を向け、90人が犠牲となった。

 

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今回報道されたのは、事件の生存者でありながら、みずから命を絶った30代の青年。

Guillaume Valette(ギョーム・ヴァレット)さん。あの日、バタクラン劇場にいた。

事件から2年がたった2017年11月19日。1か月半前から入所していた精神病院の病室で、自ら命を絶ったという。享年31歳だった。

 

www.leparisien.fr

 

ギョームさんの自死が、先月、"131人目のパリ同時テロ犠牲者" として正式に認められたのだという。

ギョームさんが目にした現実は、どれほど重かっただろう。いきなり、純粋にエンターテインメントを楽しんでいた次の瞬間、わけもわからぬままに銃撃を受けることの恐ろしさは、想像を絶する。

 

先日、日本で公開になった映画、「アマンダと僕」。これは、自分にとって大切な家族が突然テロによって帰らぬひととなった家族の物語だ。私は先月、偶然のきっかけで見ることができた。監督自身も、パリでの同時テロの経験から、制作に向き合ったという。

www.bitters.co.jp

 

事件や事故、自然災害。

こうした悲劇は、私たちのすぐそばに "潜んでいる" のだと思う。

あたりまえに続くはずの日常が、ある瞬間を境に激変してしまう。その出来事が、ひとのこころに残す傷の深さは、経験したひとにしか分からないのだろう。でも、とてもとてもつらいと思う。思う、ことしか出来ないけれど。

 

パリ同時テロの翌年、2016年7月14日に南仏ニースで起きたテロ事件を覚えているだろうか。7月14日はフランスの「革命記念日」。革命を記念して毎年打ち上げられる花火を目にしようと路上に出ていた群衆に、大型トラックが突っ込み、86人が亡くなった事件(負傷者は450人以上)だ。

この事件で妻と4歳の息子を失ったTahar Mejri(タアール・メジリ)さんが亡くなったことが今月13日に報じられた。警察は死因の捜査に乗り出すとしているが、彼が悲しみ(愛情)によって亡くなったのだと親族は話してるという。弁護士は、ギョームさんのように、タアールさんが87人目の犠牲者として認められるように求めるとしている。

 

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記憶というものはとてもやっかいで、大切なひとを突然失う悲しみや衝撃、絶望を、つらいあまりに忘れ去りたくても、記憶はそれを許してはくれない。

でも、はた目には、その記憶もこころの傷も分からない。こころの「傷」は、目に見えないのだ。

何年も絶ったあとも、変わらず、奥深くにひっそりと残っているかもしれない。それは、本人にしか分からない。(ときには本人にさえ分からないのかも知れない)。

 

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こころの傷、というとき、いつも思い出す話がある。

 

阪神淡路大震災で被災をした女の子。自宅は失ったけれど、自分の家族に犠牲者は出ず、"被災"の度合いから言えば、まだ軽くて済んだと言える被害だった。

地震からしばらくたって、神戸駅を訪ねる機会があった。

じぶんの地元は、いまだ復興のさなか。町並みは震災の前後で様変わりしてしまった。それに対し、神戸駅の、何も起きなかったかのように変わず賑わうようす。

女の子は、雑踏の中でひとり、震災から初めて泣いた。

 

どこで聞いたのか、読んだのか、情けないことに出典どころかいつ聞いたのかさえも、まったく覚えていない。もしかしたら、NHKの番組などで紹介されていた手記か何かだったのかもしれない。

紹介するには情けないほどの不確かな記憶なのだけど、なぜだか「駅前のようすを前に、震災から初めて泣いた」という、この少女の最後のワンシーンだけが、なぜだか文字や表現を超えてイメージとして、自分のこころの中に刻み込まれている。

 

私にとって、このシーンは、「"見えない"こころの傷の深さ」の象徴するものだ。そして、"見えない"傷を前に、私たち社会がどれほど無慈悲なのかということも。

 

東日本大震災の直後、東北のローカル放送局で勤務することが決まったとき、このシーンがまっさきに心に浮かんだ。

私は震災を知らない。東北を知らない。3月11日の揺れどころか、直後の混乱も経験していない。

そんな私は、少女の泣いた駅の雑踏の中で無邪気に通り過ぎたひとりなのではないか。そう思ったからだ。

 

テロ事件を耳にするときもいつも、このシーンが必ず浮かんでくる。

詳細をまったく覚えていないのに、なぜこんなにもこころに刻み込まれているのか自分でもよく分からないのだけど、、、。

 

 深い傷を負ったひとにとっては、無邪気なまちのざわめきも笑い声も、平凡な日常も、ときにすさまじい暴力なのだと思う。

 

救うなんておこがましいことは出来なくても、むしろ何も出来なくても、せめて。

となりにいる誰かの、こころに残っているかも知れない傷の深さを思いやる、そんな余白を持てる人間になりたいと、願い続けている。