森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

外国語を学ぶ、ということ。

好きなことばはありますか?

 

f:id:mori_kei05:20190625212710j:plain

■□■□■

私はフランス語を始めたばかりのころ

  Il n'est point de bonheur sans nuage.

という諺を知った。

どこで知ったのか、何がきっかけだったのか、もうすっかり覚えていないのだけれど。

直訳すると、「雲のない幸せなんかない」となるだろうか。

 

ネットで見つけたフランス語のことわざ辞典には

  Rien n'est parfait en ce monde. Un bonheur sera toujours accompagé de désagréments. 

(この世界に完璧は存在しない。幸せは常に厄介を伴うものだ)

と説明されていた。

 

 

幼いころからどうしても日本社会に馴染みきることができず、いつも息苦しさを感じてきた。その一方で、さらに面倒くさいことに、「息苦しい」と感じる自分にさらにやりきれない気持ちになることばかりだった私は、この諺を見たときに本当に、雷に打たれたように、衝撃を受けた。

 

ものすごくめぐまれた環境ではなくても、それなりの生活レベルと教育を受け、両親ともに健在。いわば平均的な、教科書でいったら健康優良児と表現できるような健康体。やりたいことはやらせてもらって、欲しいものも(もちろんすべてではなくても)それなりにかなえてもらって、まさに、何不自由ない生活であることを自分でもきちんと理解している。それなのに、なんとなく息苦しいと感じてしまう自分に、嫌気がさす。

 

このしんどさを、なんと美しい表現に昇華した表現だろう、と思った。

 

そして、おそらく、それは私にとって「雲のない幸せなんかない」という日本語でではなくて「Il n'est point de bonheur sans nuage.(イル ネ ポワン ド ボヌール サン ヌァジュ)」というフランス語で出会ったことに意味があった。日本語とは全く違う言語をゼロから始めて、自分が曲がりなりに文法や発音・単語を少しずつ少しずつからだに取り込んでいって、その "ツール" をとおして理解したことに、大きな意味があったのだ。

 

外国語を学ぶということは、この世界を見る方法を増やすことだと私は思う。

表現の仕方、発音の仕方、文法、時制の使い方・・・。

 

たとえば「水(みず)」だって、「Water(ウォーター)」なのか「Eau(オー)」なのか。同じものでも、聞こえ方が違えば、表現も変わる。「いのちの水」と日本語で言ったりするけど、それはフランス語だと「La source de la vie(いのちの源)」と表現するとか。

 

たとえば「椅子」は、日本語では単なる「いす」だけど、フランス語では"女性"名詞になって、「机」は"男性"名詞になるとか。ものに性別をつける意味はいまだに全然分からないけど、その感覚そのものも、主語を抜いて話したりあいまいな表現に長けた日本人としては、ものすごく面白くないですか。

 

 

とにかく私は、生きづらさを感じていた当時出会った

「Il n'est point de bonheur sans nuage.」という諺に、

生きていていいんだよ、しんどさを感じていても大丈夫、それは当たり前のことなんだよ、と、やさしく美しく肯定してもらうことができたのだ。

 

英語もフランス語も、そうして私に生きる力をくれたのです。外国語を学ぶと言うことは、私にとって、そんな意味があります。

 

■□■□■

ちなみに、雲について。

 

日本の秋の空のように、雲ひとつない、つきぬけるような青空ももちろん好きだ。晴れ晴れした気持ちになって、気分が良い。

でも私は、いろんなかたちの雲が浮かぶ青空のほうがもっと好きだ。雲って、空のいろいろな表情を引き出すプロデュース力に長けている。ひつじ雲、入道雲、うろこ雲、、、季節や折々のなかでさまざまな表情を見せる。なんで空気中の水分が凝結して空中に浮かぶのか、白く見えるのか、けっして同じ形にならないのか、、、いつも疑問に思うのだけど、この疑問は疑問としてそっとしておきたい種類の疑問なのだ。(理屈じゃなくて、感覚の疑問のままにしておきたい)