森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

自分はどちら側の人間なのか。

4年ほど前から、ずっと私のなかで答えを探し続けている疑問がある。

 

 

■□■□■

とてもきれいな海に面した小さな漁村があった。

あたたかな気候に恵まれ、おいしい果物や野菜が育つ村だった。

海では新鮮な魚も捕ることが出来て、村人たちは平和に暮らしていた。

ものすごく豊かなわけではないけれど、誰もおなかをすかせず生きることが出来た。

村の子どもたちは学校に通うことも出来たし、おとなたちは夕方に1杯のビールを飲みに出かけられるすてきなバーもあった。

村人たちは、自分たちの暮らしに満足していた。

+++

ある日、海の向こうから、ボートがやって来た。今にも沈みそうな小さなボートには、たくさんのやせ細った人たちがぎっしり乗っていた。

中には生まれたばかりの赤ん坊や、病気にかかった女性もいた。

どうやら、海の向こう側からやって来たらしい。どこの国から来たのか、ことばもさっぱりわからない。

でも、村人たちはびっくりして、すぐに病人には手当を、赤ん坊には毛布を、そしておなかをすかせた人たちには村の食べものを分けてあげた。

ことばは分からなかったけれど、彼らはありがたがっているように見えた。

喜んでもらえて、そして困っている人を助けてあげることが出来て、村人たちも、うれしい気持ちになった。

+++

それから数か月がたって、やって来た人々をどうしていくかが問題になってきた。

村の仕事を手伝おうとしてくれる、働き者もいた。村のことばを覚えようと勉強を頑張る人もいた。でも、日がな一日、海辺でぼーっとしている人もいた。ふらふら歩き回っていて、何を考えているのか分からないような人もいた。

「彼らをどうしたらいいんだろう?」

村人たちは困ってしまった。助けた先のことまでは、考えていなかったのだ。

「もと来た海の向こうに戻っていってもらえたらいいんだけど、そういう訳にもいかないようだし…」

ボートでやって来た人たちは、どうやら海の向こうには絶対に帰りたくないようなのだ。ことばが十分に分からない状態でも、彼らが帰りたくない、という強い思いを持っていることだけは、身振り手振りで伝わってくる。

+++

解決策が見つからぬまま、さらに数か月がたったある日、海の向こうから、また別のボートがやって来た。やはり、今にも沈みそうな小さなボートにぎゅうぎゅうに人が乗っている。今回は、お父さんお母さんがいない子どもたちもいた。

村人たちはびっくりして、今回も、食べものや寝床を用意してやった。

彼らは、ことばが分からないようだけど、どうやらとても感謝しているようだった。

+++

このボートを境に、村にはどんどん次から次へとボートが毎日やって来るようになった。どれもこれも、小さいボートに人がぎっしり。赤ん坊から年寄りまで、いろんな人たちが乗ってやってくる。

村では昔から、「困っている人は助ける」という教えを大事にし、お互いに助け合って暮らしてきた。子どもたちにも言い伝えてきた。

困っている人がやってきたら、助けてあげたい。

でも、困っている人が次から次へと止めどなくやってくるのだ。

今度は、村人たちが困ってしまった。

「もううちの村では限界だ」

「ほかの村に行ってもらえないだろうか?」

「でも、ことばも分からない彼らになんと説明したらいいのか?」

「ボートに乗せてむりやりでも帰ってもらうか?」

「いやがっている人たちをむりやり帰らせるのは、あまりに非情じゃないか」

どうやら、海の向こうでは大きな戦争が起こっていて、やってくる人たちは命からがら安全を求めて逃げてきたようなのだ。

「とはいっても、うちの村ではもう限界だ」

「やっぱりほかの村に助けてもらおう」

+++

でも実は、近隣のほかの村も同じ状況だったのだ。

近くのほかの漁村の村人たちも、頭を悩ませていた。

そこで、遠くの村に連絡をとってみたけれど、返事は来ない。

「どうしたらいいんだろう…」

村人たちは、頭を抱えてしまった。

 

■□■□■

この状況、自分ならどうするか。

私はこの問いの答えが見つからないのだ。

どうしたらいいんだろう?

premium.lefigaro.fr