森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

職業病なのかも知れないけれど。

日本のテレビの報道畑で、これまで、名もない(わけではないけれど、あくまで組織の一職員)ディレクターとして働いてきて、最近、自分自身について考えること。

 

何らかの社会テーマに関する番組や企画を作るとき、表に出る3分や5分の100倍以上、取材をする。

 

取材は、私のやり方だと、まず

キーワードをネットで検索して最近話題になっていることを把握する、

⇒そこから知った著名人・研究者の著書や発言を探る、

⇒新聞記事のキーワード検索でひっかかったものを片っ端から読む、

⇒その上で知った著書を読む。

⇒この上で、じっさいにそのテーマに関わる人と出会うために、現場を訪ねる。

同時並行で進む場合もあるけれど、基本的に、人や現場を訪ねるのは、自分なりに納得してからにしている。

もちろん、実際に現場を訪ねて改めて知ったキーワードや情報をもとに、前のプロセスに戻ることは多々ある。それでも、自力で得られる情報を自分なりに探して咀嚼してから生身の人に向き合うことが、最低限の礼儀だと考えている。

そうして、出来るだけいろんな人の意見を聞くようにしている。なんでかというと、ロケという現実社会にカメラを向ける作業の中では、少なからず軋轢が生まれることがあるから。

とくに、被写体である相手側が複数人いるグループだったりする場合、ぜったいその中の一部はロケに納得しなかったり、メディアへ不信感を持っていたり、そもそもグループに不満を持っていたりする。どれほど素晴らしい取り組みをしている組織であっても、「ここにいる全員ハッピー!」「全員大満足!」みたいな現場って、いままで、出会ったことがない。

だから、私は、時間の許す限り、関係者全員に声をかけ、少しでも思うことを聞き出せるようにしたい、といつも思っている。(正直これは、現実的な時間の制限などもあって必ずしも毎回できているわけではない。でも、いつも、心がけている。)

 

そういうプロセスを繰り返してきて最近思うのは、物事は多面的であると言うことだ。ある人にとって当たり前に見えている世界は、少し角度変えてみると全然違って見えることが多々ある。というか、世の中のほとんどすべての出来事が、そういうものだ。

 

たとえば、「安くて質のいい物」は、多くの人が喜ぶ。でも、それは、作り手側が安く買いたたかれているからなのかもしれない。

「美しい自然」は、人から愛される。ただ、その自然は本当に "自然” なのか。作り込まれた人工のもの、もしくは本当の自然に害を及ぼしていないのか。

「コンビニ」も、現代社会の暮らしを力強く支えてくれていて、もう、コンビニなしの生活は考えられないくらい、日々の生活に浸透している。でも、背景にものすごい量のプラスチックゴミや食糧廃棄がある。

 

「いのちはたいせつ」だと多くの人が言う。「一寸の虫にも五分の魂」ということばもある。でも、ひとはゴキブリを見たら退治するし、害虫は駆除される。言うなれば害虫だって、単純に生きようとしているだけなのだ。

 

こういう風に考えていくと、あたまのなかがぐるぐるしてくる。でも、企画を作るときには自分なりの筋を持たないと、構成が出来ない。

なので、わたしはあえてあたまのなかをぐるっぐるにして引っかき回してから、ものすごくシンプルに立ち戻って考え直す。その上で、自分なりの「視点」をみつける。

こうしておくと、編集や構成の際にいろいろな人から突っ込まれたり、反対されたりしても、自分自身がぶれないので、個人的にはとても大事なプロセスだと思っている。(ただ、信念を持つことと頑固であることは違うので、もっとよい意見や自分が盲点だった場合には、指摘を受け入れられるような謙虚さと柔軟さも持ちたい。これは、いまも日々修行中。。)

 

だから、(この仕事自体は大好きだけれど)自分の職業であるメディアについてもテレビというフィールドについても、かなり批判的だ。いまの仕組みにも、納得はしていない。というか、不満だらけだ。だから、たまに息苦しくなる。

 

ここのところ、ネットで話題の「NHKから国民を守る党」そして「全裸監督」について、もやもやと考えていて。

「N国」も、その存在はものすごく多面的だ。彼らの主張がすごくシンプルだから取り上げられがちだけど、それ以前に、政治のシステムはすごく複雑で、民主主義ってなんなのか、政治家の仕事ってなんなのか、きちんと理解をした上で、彼らの言葉を受け止めなくてはいけないと思っている。

ネットの時代だとそれじゃ遅すぎるのかな・・・って思ったりもしたのだけど、でもやっぱり、いったん立ち止まって、ほかの角度からも見つめてみることは大事だと、そしてそれは「私たちがやらなくてはいけないこと」なのではないかと、私は思う。

 

「全裸監督」は、とにかく、ネットフリックスの日本への本格的な到来だ。テレビや既存のメディアがいかに時間をかけて自分たちの "出来ないこと" を(知らず知らずに)増やしてきたのかが、とても浮き彫りになっている。クリエイティブという点で(内容すべて含めて)本当、いろんな意味で面白い。

なのだけど、やっぱり、ネットフリックスがネットフリックスでやることと、メディアがやることは違う、と思っている。

もちろん日本のメディアでもドラマやエンタメなどたくさんのコンテンツが作られているし作られてきたけれど、本質的に、テレビやラジオの根幹は「報道」だ。世の中で起きていることを、きちんと検証し、わかりやすく正確に伝えること。人が考える判断材料を提供すること。視聴率を追いかけるのではなくて、視聴率に追いかけてもらえるような信頼性を得ることが、いまやるべきことなのではないか、と思う。

 

まじめなつぶやきでした。

皆さんはどう思いますか。