森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

文化について、とりとめもなく。

文化というものは、面白い。

どこの国にも、いい人もいれば悪い人もいるわけだし、社会の仕組みはどこでも似ている部分が少なからずある。

(たとえばパン屋さんはどこの国でも早起きだし、便利屋さんみたいな怪しげだけど困ったとき便りになる人ってどこにでもいるし・・・。私の業界で言えば、これまで出会ってきたさまざまな国のジャーナリストは得てして好奇心が強くて多様性に寛容、カメラマン・音声マンはちょっと野性的な男性が多い印象がある。)

それでも、その国ごとの「文化」は、似ている部分があるとしてもなんだか全然違うのだ。

朝鮮半島・中国・日本(そして台湾や香港も)は、ヨーロッパの人にしたら同じにされがちだけど全然違うし、アジアからしたらイタリア人・フランス人・スペイン人などの区別は正直けっこう難しかったりするけど、正確に言えば気質も見た目も全然違うわけで。

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そんな中で、たとえばフランスと日本でも、似ている部分がある一方で違う部分が少なからずあるわけだ。

おととい記事を書いた芸術家のA.K.さんは、それを農耕文化と狩猟文化の違い、と話していたのが面白かった。

日本はもともと農耕、集団で生活している。土着の民族であり、共同体の中で生きる。

フランスのようにヨーロッパ大陸の国々は、狩猟、より良い土地や暮らしを求めて戦い続けてきた。

オランウータンとニホンザルの違いでも説明してくれたのだけど、こういう視点で考えたことがなかったから、新鮮だった。

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あと、香水の話。

香水って、つきつめてみれば単なる水。もちろんさまざまな香りがあるけど、3~4こ嗅ぐともうだんだん匂いなんて分からなくなってくる。

しょせん、器(ガラス瓶)と、プロモーション(イメージ作り)の結果なのだ、と。

それは確かに。みんながランコムとかディオールとかシャネルなどのブランド香水を買うの、もちろん匂いが好きというのもあるかもしれないけど、CMで流れる美しい女優や風景に惹かれるあこがれによるところが多い気がする。

そんななかで、香水の調香師から聞いた話をおしえてくれた。じつは最終的に人間が惹かれる匂いというのは、どこか腐敗した匂いなのだと。それは生まれる前の子宮の匂い、母親の匂い、体臭、体液など・・・。

これも確かに、と思った。

じっさい、男女の関係って、出会ったときにびびっと来たり、お互いを好きになるとき、「におい」って重要だったりすると思う。

わたし自身は男性とつきあった経験がそんなに多くないけど、夫の前に、人生で長くつきあったひとは、いちばん好きだったときはその人の鼻息が好きだった。なんだか、マスカットのような匂いに感じられたのだ(・・・と書くと変なひとか・・・?)ちなみに、別れる前にはちっともその匂いが感じられなくなった(それも根拠はないのだけど。単に近寄らなくなっただけかもしれない。。)

夫は、形容しがたいのだけど、やっぱり私はその匂いがとてもすきだし、嗅ぐと安心する。夫もわたしの匂いがすきとよく言う。それは、石けんとかシャンプーとかそういう匂いもまじりあっているのだけど、その人ならではの匂い、ということ。

 

こういうことって、あまり話しはしないけど、ぜったいにあると思う。

人間の相性、好きになる人って、遺伝子レベルで合う・合わないが決まっている、という話は聞いたことがあるけれど、それに通じることだと思う。

 

人間だってしょせんは動物なのだ。

そして、動物である人間はけっして「きれい」ではない。文明の進歩によって ”清潔” に保つ術を身につけただけだ。そして、「きれいごと」を言う術も。

 

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文化や表現って、そうした「きれい(文明)」と、「動物(本能)」の狭間の、屈折した部分からうまれる面もあるのではないか、、、と思っている。

 

たとえば単純に映画にしたって、特にヨーロッパのもののほうがそうした闇に目をむけた作品が多い印象があるのだけれど、

日本でも大ヒットしたフランス映画「アメリ」だって、正直言って決してかわいいだけの映画ではないし、

スペインの巨匠ペドロ・アルモドバルの映画は、かなりセクシャルで癖が強い(「トーク・トゥー・ハー」等・・・)。

最近では#MeTooをきっかけにウディ・アレンの養女への性的虐待が議論を呼んでいたけれど、そうした疑惑は昔からあった。

私は高校生の時に見た「戦場のピアニスト」に大きな影響を受けたのだけれど(第75回アカデミー監督賞や主演男優賞を受賞、第55回カンヌ映画祭でパルムドール受賞)、当時、その監督ロマン・ポランスキーが、「”少女への性的虐待”による逮捕・収監の可能性があるためアメリカにわたれず授賞式不参加」という事実にものすごくびっくりした。

 

けっして、「芸術のためには闇が必要だ」「性的虐待も肯定される」と言いたいわけではない。けっして、ない。

でも、人間の闇を「表現」というかたちで昇華させている部分、そこから文化が形作られている面も、社会には少なからずあるのではないかと思う。