森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

「アーティスト」であるということについて思ったこと。

きょうからまた一週間が始まった。

 

週末、すてきな出会いをいただいたので、そこで聞いたこと、考えたことについて、書き留めておこうと思う。

このあいだ書き留めた、在パリ日本人の方と出会えたのです!目標、ひとつクリア。

もちろん今後も機会があったら出来るだけ広げようと思うけれど。

 

訪ねたのは、A.K.さんという画家のアトリエ。40年以上、パリに根付いて絵を描かれている。(たった2年しかパリに住んでいない私には、想像もつかない。)

Kさんがパリに来たのは、まだ学生運動(五月革命)の余韻の残る時代。五月革命とは、1968年5月にパリで行われた学生主導の大衆一斉蜂起、そしてそれに伴う政府の政策転換のこと。(※ちなみに、1968年は、世界各地で大きな運動が起こった年。アメリカのベトナムへの反戦運動や中国の文化大革命、日本では全共闘、チェコのプラハの春など・・・。)

Kさんにとって、パリの町は「黒かった」そうだ。多くの建物が黒かったと。そして、日本で尖ったアートを発信していたKさんにとって、フランスは、日本で見ていたときよりずっと「面白くなかった」と感じたそう。それはフランス人の持つ保守性(アーティスト界隈での縄張り・人脈社会)や、オスマンスタイルの画一的な町並みによるもの。

そんな「面白くない」と感じたパリで、そして、Kさんの言うとおり保守的で人脈社会のフランスで、日本人のアーティストとして、しなやかで自由で多彩な発信を続けてきた、そして今も。という事実に、すなおに感動する。

 

アトリエの壁全面に立ち並ぶ、直径6メートルや7メートルもの大きなキャンバスいっぱいにさまざまな素材や絵の具で全面に広がる世界に圧倒された。青、赤、黄色、オレンジ、深い青、銀、黒・・・太さ、かたち、表現、ストーリー。

Kさんは、ひとつの絵の描き方として、街作りにたとえて話をした。東京の町並みは、たとえば戦後にひとつの街のかたちが出来た。その10年後、少しの開発で街の形が変わる。そしてまたその数十年後、再開発が行われる・・・。日本の街は、そんな風に変化してきた。たとえば新宿の、ゴールデン街がある界隈なんかはとてもわかりやすい。巨大ビルの後ろ側に突然神社があったり、風俗街の後ろに突然保育園があったり。

Kさんがそんなふうに、10年、また10年と、同じキャンバスに少しずつ(前に描いたものは消さずに上から重ねて)絵を描いた作品は、まとまりはないのだけどとても立体的で、さまざまな色や線がつらなるベースのなかから浮き出るひとの表情のようで、でもよく見るとつかみどころのない、とても不思議な風合いの作品だった。

 

聞くと、何かストーリーだとかテーマ、構成を考えて作るようなことはなく(もちろんそうして作り上げるアーティストもいるけれど)、思うがままに、描いていくのだという。そして、ストーリーが浮かんできたときは、あえてそのストーリーを壊し、また作り上げ、壊し・・・と続けていくそうだ。

 

とってもおもしろい!と思った。

私には、いまの社会は、「ストーリー」を求めすぎていると感じられていたから。

人間はそんなにきれいな生き物ではなく、失敗したり、欲望に負けたり、そのあと立ち直ったり、でもきれいには行かなかったり、、、という、矛盾した生き物だ。なのに、サクセスストーリーとか、きれいな感動話だとか、そういった「簡単」なものを求めすぎているように感じて。

ひとはそれぞれ、自由に感じたり、紡いだり、考えたりしていいのだ。「アート」は、そのバッファをくれる存在なのだ、という基本中の基本を思い出した。

 

そして、いまの時代、どんどんテクノロジーや人工知能が広がっているなかで、人間が人間でなくなってしまう時代がまもなく来るのではないか、という危機感。そこに収まらない空間に、アートがある。そんな話も。

 

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ここから以下は私の考察だけれど。

いま、AIや加工技術によって、普通の人でもものすごく簡単に「それなりに」きれいな写真を撮ることが出来たりする。

そして、H&MだとかZARAだとか、IKEAとかHEMAとかフライングタイガーだとか、お金がなくても「それなりに」かわいいものを簡単に安い値段で手に入れることが出来たりする。

それはとてもすてきなことで、より多くのひとたちが、より気軽に心が上がる、暮らしを楽しむことが出来るようになった。

でも一方で、それは、大量生産による大量消費であり、こうしたブランドの普及によって、持っているもので工夫する、自分なりの模索をする、といった「創意工夫」の余白が減ったように感じる。それは、「自由」が見えにくくなる世界でもあると思うのだ。

 

「それなりに」美しい世界に生きる私たち。

でも、本当の美しい世界って、これでいいんだっけ?と、思う。

 

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ちなみに、Kさんのアトリエにたくさんある巨大な作品たちは、単にキャンバスを買って仕上げるためだけの材料費だけで安くても3000ユーロ=35万くらいは余裕でかかるそう。そしてもちろん何ヶ月も時間がかかる。

そう、そうして生まれるのが、アートなのだ。

 

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アーティストでいるって、やはり現実的にはたいへんなことだ。

家族の中に多少なりともアートをなりわいとする者が少なからずいる身として、私自身にもきっと、美術大学や表現の道に進む選択肢は、あった。というよりきっと、小さい頃から、そうした刺激やきっかけ、チャンスはほかのひとよりずっとたくさん与えられてきた、と思う。

でも、だからこそ、アートで自分を表現し続けるひとたちを、本当に、尊敬する。それは、仕事として、というよりも、生き方として表現を続ける人たち、ということ。

私は、そういうひとたちの心の中には、わき出る ”感情の泉” があるのではないかと思うのだ。そして、私には、それが、ないなあ、とも。

・・・いや、あるのかなあ。

かたちは違えど、あるのかも、しれない。

 

でも、それを全面に打ち立てられるのは、やっぱり、すてきだ。