道に迷った日。
行きの道すがらには気がつかなかったことが、帰り道だとふと目にとまる、ということがある。
先日、ある通りを2回目に通ったとき、不意に、まっしろな壁とピンク色の花がとてもすてきな家に「一階の借り主募集中」の大きなポスターが貼ってあることに気づいた。
1回目に歩いたときはまったく気づいていなかったので、つい、「あれ、道を間違えた?」と思った。本当にとてもすてきな家だったので、最初にその家のポスターに目がとまらなかったことが不思議に思えたのです。
そして、思わず通りを元来た道を戻って、なんどもうろうろしてしまったのでした。
(そのとき、携帯の電池が切れてしまっていて、ナビも見られず、自分のうろ覚えの記憶を頼りに道を歩いていた。)
最終的に、街のバスの路線案内に書かれたざっくりとした地図をもとに、「来た道であっている」と判断し、無事に帰ることができました。
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何が言いたいかって、ひとというのは自分が認識して始めて「理解」できるわけで、世の中には、自分の認知に入っていないたくさんの事実や世界があるのだな、ということ。そして、単に自分が気づいてなかったくせに、都合良く解釈しようとすることだ。
そう考えると、私の見ている世界なんて、なんと偏って小さいんだろうなあ、と思う。たとえば私はネットに詳しくないので知らないことだらけだし、フランスだってまだまだ本当に部分的にしか知らないし、日本であっても、ごまつぶのような知識しかない。(世界の広さと豊かさを考えたらごまつぶというよりミドリムシとかミジンコくらいの大きさかも・・・)
まあ、そんな中でも、自分の知識が限られたものであると自覚はしつつ、出会って(理解しうる)ことを少しずつ自分の理解で深めていくしかないのだなあと、思いました。
以上、道に迷ったある日の経験から、考えたこと。
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、、、というわけで、そんな今日に偶然目にとまり、偶然わたしの関心を惹いたに過ぎないアメリカのニュースについて。
トランプ大統領が、メキシコなどからやってくる移民たちに「(アメリカを目指してやってくる)気持ちをくじく」ために、子どもの拘留の無期限化を要求した、というニュース。
現時点では、子ども、そしてその親は21日で解放されるそうで、それが「1か月以内に自由になる」ということでアメリカを目指す気持ちを助長している、とホワイトハウスは言っているらしい。
この要求が通れば、2か月以内には実行が始まるとのことだ。
ちなみにトランプは「そもそも思い出して欲しい。子どもと親の引きはなしを始めたのはオバマで、彼が牢屋を作り、私はそれを引き継いだだけだ」と述べている。
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以前、フランスの「極右」とよく言われるマリーヌ・ル・ペンが言っていることは、単純に「フランスを日本のようにしたいだけだ」という記事を何度か読んだことがある。
日本の移民や難民に対する強硬・閉鎖的な態度は世界的にも有名、批判されているけれど、その事実は、じつはあまり日本のひとたちのあいだではきちんと認識されていないように感じる。
いま時点で移民に対して強硬なことを言っているトランプやイタリアのマテオ・サルビーニなどの主張も、ものすごくざっくりしてしまえば、日本のやっていることとそんなに変わらない。
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ただ、じゃあ日本は日本のままで、トランプやサルビーニの意見を支持、でいいのか?といえば、違う。
そもそも、難民はいのちの危険に差し迫って、移民はよりよい暮らしを求めて、母国を離れて別の国を目指す。
もちろんその点できちんと、その必要性(理由)がどちらかを見極めなくてはいけないのが大前提なのだけれど、移民だって、「よりよい生活」を求めているのなら、母国で目指せば良いはずだ。
それが出来ない事情はなんなのか。
を、考える必要があるのではないかと思う。
受け入れの難しさ、止めどなく押し寄せる人々など、現実の厳しさを想像に固くないけれど。
やっぱり現代は、「断絶」じゃなくて「相互理解を目指す(少なくとも、目指せる)」時代ではないかと思うから。
皆さんはどう思いますか。