森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

74年前のあなたへ。

人は生まれる場所も時も選べないことを、最近、よく考える。

 

よく、妊婦さんや赤ちゃんの話で、「赤ちゃんは空からママ(あなた)を選んできたんだよ」という話を耳にする。それはきっと、ほんとうにそうなのだろうな、と思う。そして同時に、そんな、あたたかな記憶ややりとりが、すべてのひとのもとにあればいいのに、と思う。

 

 

異国であるフランスにいると日々、自分が異邦人であることを感じる。

移民社会であるフランス、特にパリは、本当に多様な人種が複雑に混じり合い、その言語についても、文化についても、ものすごく複雑で豊かであるけれど、それにしても、紛れもなく自分のルーツとは違った文化・歴史的背景がある。(もちろん、それがいい、悪い、というのはまったく別の話。)

 

フランス人に生まれるのか、日本人に生まれるのか、もしくは、アルジェリア系フランス人として生まれるか、パリ20区内に生まれるか、郊外に生まれるのか。リビアから逃れてきたお母さんのおなかのなかから生まれるのか。アメリカの富豪のもとに生まれるのか。

 

 

ママを空の上で選んできたとしても、やっぱり、その後にあかちゃんが向き合うこの社会については、必ずしも赤ちゃんが選べるわけではない。そして、生きていくことは、決して優しくはない。

 

 

児童養護施設の取材をしていたとき、わたしには、わたしと、彼ら彼女らの違いが、本当に、痛かった。

日本人。女の子。おいしいものがすき。あまえんぼう。ちょっとわがまま。

同じ。なのに。

 

夏のあいだ、ずっと公園で寝泊まりしていたところを保護された小学生の女の子。

両親がずっと帰ってこないまま放置されていた赤ちゃんのとき、同じく空腹に苛まれた飼い犬に足の親指を食べられてしまった女の子。

3つもの里親をたらいまわしにされて、引き取り手のみつからなかった女の子。

 

同じ時代を生きていても、同じ時に生まれても、日本のなかでさえも、違う。その現実に対して、私は何を言えるだろう。何が出来るだろう。

 

 

 

 

今日は、74年前に、日本に生きていたひとたちを思う日だ。

夏の日。

きょう、きのう、おととい、一週間前、一ヶ月前、、、その延長線上に、1945年8月6日がある。時間も、世界も、一瞬だって止まったりなくなったりすることなく、ずっと絶え間なくたゆまず、つながってきた。

でも、その日、広島のその場所にいた人たちには、世界が一瞬止まっただろうと、たとえ出来ることが想像でしかなくても、私は想像する。

そしてその後、再び動き始めた時間は、残酷なものでしかなかっただろう。どんどん“きれい”になっていく現代社会では、いのちが失われる場面に触れることが本当に少なくなっている。でも、私は想像しようと試みる。楽しいことではなくても、つらいことでも。

私が、74年前にその場所にいたかも知れないのだから。

もしかしたらこの一瞬のすぐあとに、同じことが起きるかも知れないのだから。

 

日本ではいま、8月6日午前2時近くだ。

イタリアの判断に、考えたこと。

ちょっと前に(ちょうどいまから40日前)、こんな記事を書いたんだけど、それはなんでかというと、当時、ちょうど現実にそんなことがヨーロッパで起きていたからだった。

 

mori-kei05.hatenablog.com

 ドイツのNGO「シー・ウォッチ」(※シー・シェパードではない)の救助船が、リビア沖でゴムボートに乗る移民たち53人を救出したのだけど、最寄りのイタリア(ランペドゥーサ島)への入港が拒否され続けた。船は数週間沖合で停泊を続けたあと、許可の下りないまま港に入り、31歳の女性船長、カロラ・ラケッテ(Carola Rachete)がイタリア当局によって逮捕されたのだ。特に、イタリアの極右正当で対移民強硬派である副首相兼内相のマッテオ・サルビー二は、ツイッターや記者会見でひたすらこうした救助船を糾弾した。「そんなに救いたいならドイツへ行け。イタリアはNOだ」というような単純明快・かつきっぱりとした断絶のことばを聞いて、なんとも言えない気持ちになったのが先月だったのだ。

(※その後、今月2日にイタリア裁判所は、ラケッテ船長は人命救助しただけだと判断し釈放を命じている。)

 

そんななか、きょうフィガロに出ていたニュース。タイトルは、「移民:イタリアは、人道的な救助船を対象とした新たな政令を採択」。

premium.lefigaro.fr

内容としては、人道的な救助船に対しての罰則を強化したもので、上院で賛成160,反対57で採択されたそうだ。つまり、マッテオ・サルビーニ側の主張に沿った内容になる。すでに下院で承認されているので、議会の夏休み前の水曜日には有効になるそうだ(あした?)。

 

ニュースとしては、ラケッテ船長の一件がフランスでも連日大きく取り上げられていたが、実は、こうした人道救助船が移民を沖合で助け、それをイタリアへ連れてくる、ということは、それ以外にも頻発している。

 

日本語で読めるAFPの報道だけでも、この一ヶ月でこんなに。

www.afpbb.com

www.afpbb.com

www.afpbb.com

 

特に、リビアの戦況が悪化していること、そして、地中海横断は夏が最も多くなることなど、背景にはさまざまな理由がある。

ただ、ひとはどんどん海からゴムボートに乗ってきてやって来ていて、ほっといたら遭難してしまう中で、どうしたらいいのか?でも助けたら助けたで、イタリア国内の反発も起きる。

 

ちなみに、フィガロの記事によると、イタリアでは、サルビーニの内相の「反移民」発言が人気を集めている。先週金曜日に経済誌Il Sole 24 Oreで行われた世論調査によると、彼の政党「Ligue」の指示は39%にのぼり、それ去年の国民議会選挙時のなんと二倍だそうだ。

 

こうした状況について、どう考えるだろうか。

私は、前回記事を書いた40日前、ほんとうに自分のなかで、答えを出せずにいた。でも、そのあと考えていて、状況が複雑になりすぎているけど、やはりこういうときに大事なのはシンプルなことなのではないか。

 

たとえば、第二次世界大戦時、ナチスの弾圧を逃れようとしたユダヤの人々のこと、そして彼らを救おうと動いた人たちを、否定する意見は今日聞かれない。日本では、たとえば、外務省からの訓令に反して多くのユダヤ人系避難民を救った杉原千畝さんの対応は(もちろん内部でのいろいろな対立、価値観の違いが多く残ったとしても)命を救った尊く、本当に勇気のある選択だ。

www.sugihara-museum.jp

 

あとからでは、いくらでも言える。でも、そのとき、その場で、きちんと、判断が出来るのか。現実の難しさを踏まえてなお、シンプルなこたえを、忘れないようにしたいと私は思う。そして、現実の難しさを前にあきらめてしまうのではなく(正直たしかに、サルビーニ氏の主張やそれを指示する市民の意見にも一理あるのだとは思うけれど)、「だったらどうしたらいいか?」を考える方向に社会を向けていく努力が、とても大事だと思う。

 

皆さんは、どう思いますか。

再出発の、所信表明。

はちがつ、8月、八月、葉月、August、Août。

 

こう書いて思ったけど、日本語ってほんとうに、細かい。単純な月の名前の書き方だけで、4種類あるんだもの。

例えば私は、「本当」という言葉を、ひらがなで書く方が好きだったりする。あと、「言葉」もそう。「ほんとう」と「ことば」と書いた方が、そこに込める自分の思いの重さを正確に表せている気がして。私は、こうした漢字・かたかな・ひらがなと、その組み合わせでいかようにも広がる表現の幅というものがとても好きだ。そして、そうした魅力を意識するようになったのは、外国語を学び始めてからのように思う。

たとえば、お別れをいう場合、フランス語では「Au revoir」「Adieu」「A bientôt」「Salut」など、いろいろな言い方がある。

「Adieu」は、今まで聞いたことがない。というのも、今生の別れのような、ものすごい強い意味での「さようなら」だから(たとえば、命に関わる、もしくは恋人が別れるときなどに使われるみたい)。

「Au revoir」は比較的普通の意味での「さようなら」(でも字面の意味としては“また会うときに”という表現=Au が「~ときに」のような意味で、「revoir」は再会という意味だから)。

「A bientôt」はもう少し近い「さようなら」で、「またすぐにね」と言ったような意味合い(Aはさっきと同じで「~ときに」のような意味で、「bientôt」はまもなくという意味だから)。

「Salut」とか「Chao」は、「じゃあね!」みたいなカジュアルな表現だ。

日本語では、お別れの時に「さようなら」ときちんということはまれで、「では、また」とか「お気をつけて」とか、「では、失礼します」みたいないろいろな表現がある。

こういう表現って、自分のからだの一部となって口から出ているものだ。

ふ、と意識をしないと改めて考えるきっかけもないのではないか、と、個人的には思う。外国にいると、ふとしたときに「あ、こういうシチュエーションでこんな言い方もするんだな」と思う場面があって、それはふと日本語での表現に立ち返らせてくれる瞬間でもあるのだ。

 

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と、つらつらと思ったことを書きましたが、きょうからまた、一日一投稿、一日一ニュース、を再開します。そして、それにあわせて、自分の生活の記録も。

なぜかというと、私のフランスでの滞在が、残り、ちょうど40日だから。

 

私の長い長いモラトリアム期間が、もうすぐ終わる。長さで言えば、365日マイナス一週間くらい。

いまざっくり思うのは、この1年が、ほんとうに長かったということ。そして、がむしゃらだったということ。まだ終わっていないんだけど、4日前に大きなタスクを終えて、いま残されているのはかなり自由裁量度の高い、論文課題とリサーチ。そしてこの数日、もうあまり生産性のないだらりとした日々を送っていて、私自身はその時間の使い方も大大大好きなんだけど、たぶん一生に一回しかない、このモラトリアム期間の最後の日々、「何していたんだっけ?」と思うような時間にはしたくないって、今日、思ったのだ。

だから、いまここで、自分の残りの計画・自分のやりたいことを、宣言しておく。

□■□

実は、いままでの人生、私はほとんど「宣言」というものをしたことがない。受験でも、就活でも、この留学でも、極力「宣言しない」ことを選んできた。有言実行より、不言実行が性にあっている。

「宣言すること」をおこがましい、と感じていたし(なんなら、周囲の人の意識を刺激することに対しておこがましいって思っていた。どれだけひねくれているのか、と思うけど!)「成果を出してから」「報告」をする方が、自分として納得がいったのだ。

でもそれは同時に、「有言不実行」になることに対する恐れもあったんだと思う(失敗したらかっこわるい、えらそうに言って出来なかったらみっともないって)。

他のひとが宣言していることに対して、すごいな、うらやましいなと思ったし、そのひとが結果として成功しようがしまいが自分自身はまったく気にならなかったのにも関わらず、なぜか自分に対してだけは、やたらとおびえていた。逆の自意識過剰だったんだと思う。

□■□

でも、そういう自分は、少しずつ変えていきたい。自分のことばを言いよどんでしまうようには、なりたくない。

目指せ、有言実行。実行できなかったら、「なぜ出来なかったか」もちゃんと考える。

それでは、以下、この40日間で達成したいこと。

 

1.一日一ニュース。朝ラジオとフランス・アンフォ・ビデオに触れる。

  旅行に出るときは、「つぶやき」でもよし。でも、自分の思考を言語化すること。

2.フランスの食材を意識する。マルシェ、行く。

  なぜならこれまで、モノプリやフランプリ、カルフールといった大手スーパーしか行かず、食べるものも、ビニールにつつまれた簡易的な食材ばかりだったから。それか、中華系スーパーでえせ和食みたいなものを作るか。せっかくの機会なので、フランスの味に理解を深めたい。でも、マルシェ、バカンス中、あるのかな・・・?あと、課題は、自分ひとりだと極端に制作意欲を失うというこの自分の性分・・・。

3.在パリ日本人とのネットワーク作り。

  これは、苦手なのでどこまでできるか・・・。ひとまず、Yさんに紹介してもらった方に会うこと、これまで出会った人ともう一度お会いする機会を作ること。

4.在パリ・フランス人とのネットワーク作り。

  これも、苦手なのでどこまでできるか・・・。(と書いて思ったけど、要するに自分がどれほどコミュ障かということ。。)でも、教授に紹介してもらった方に連絡すること、FTVのSさんに会うこと、院で出会った人や個人的な友だちたち!

5.帰国までに最低10つの美術館へ行く!

  美術館は、なんだかんだと自分の中で「ぜいたく・・・!」と思い、勉強を優先してしまった。でも、行く!!

6.一日一区、と決めて、すべての地区をまわる。

  これ、いま思いついたんだけど、出来るかな・・・?笑 パリには20区あります。あと、出来れば郊外には行きたいのです。だから、まわるぞ!

7.Porte de la Chapelleエリアに通う。アソシエーション探す。

  一週間以内にひとまず現地に行ってみよう。取材の糸口を探そう。

8.誰とでもいいから、とにかく話す。話す。話す。

  いま、まだ、フランス語が話し相手によってレベルにむらがあるから。いろんなひとといろんな話をする。

9.いまさらだけど、論文がんばる。規則正しい生活。

  9つめにようやく。笑 とりあえず、規則正しく起きること。国立図書館、かよう!

10.いまここにいることを、全力で楽しむ。

  ホームシックになって久しいけど、帰ったらきっと恋しくなる、ここでの生活。いまがいましかないこと。いま、私の大好きな地区の大好きなカフェのテラスでポップコーン食べながらこれを書いているんだけど、この光景の中で暮らせる、人生のなかでたった一度しかないであろうこの時間を、忘れないよう、味わうこと。

 

書いてみると、あんまりたいした数はなかった。笑

ただ、こっちにたったひとりで来て、自分の能力が何も通用しない時間を経験して、改めて思ったことがあって。

それは、完璧な国、完璧な町、完璧な人なんて、いないということ。どこにでも良いところと悪いところがあって、いちばん大事なのは、そんな環境のなかで、じぶんが、“どう”生きるのか、ということ。日本でもフランスでもイギリスでもタイでもルワンダでも、どこで生きていたって、すてきなひとはすてきだし、いやなひとはいやなひと。どこにだっていろんなひとがいる。

でも、文化の違う国の中にどっぷり浸かることは、自分を相対化できるという意味で、引き出しも増えるし、豊かになる。その良いところをきちんと吸収して、しなやかに、しぶとく、まっすぐに生きていきたい。きれいごとかもしれないけど、きれいごとを心の中に持ち続けられる人間で、いたい。

 

明日から、一日一投稿。がんばる!

つぶやき。

ご無沙汰していました。

 

もうちょっとしたら、また前回のペースで毎日アップデートしていこうと思う。

いま、新たな環境で新たな発見に日々出会っていて、あたまの中がぐるぐるし続けているので・・・

 

インプットとアウトプットのテンポをもう少しだけ早くしたいのだけど、どうしてもインプットしたら、ちょっとひと呼吸置かないと思考をまとめられない性分。。。

 

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 日本について、最近思ったこと。

・参院選、投票率が50%を下回ったことは、悲しかった。

だってそれって、2人に1人は「声を挙げる権利」を自主的に放棄したということだから。でもその原因は、自分たちにある気がしている。なんでかというと、選挙の意味って、だれかに教えてもらえなきゃ、気づけない。日本は義務教育があって、それは国際的な評価(たとえばOECDが行っているピサ=PISA)から言っても、いまのところはまだ、各国から見てもかなり高いけど。たかまつななさんはずっと前から民主主義について一生懸命活動をされていて、本当に、すごいな、って、改めて思った。

・でも一方で、今回、選挙の前に著名人が「選挙へ行こう」と声を挙げたり、SNSで発言するインフルエンサーがいたりしたことは、うれしかった。

それは、「垣根」を低くすることだから。みんなの生活の延長に選挙があって、政治があるということを、もっと感じられるようになったらいいな、と思う。

(フランス人はものすごく「政治」が好きで、コーヒー片手の世間話が政治だったりする。初めて留学をしたときにそれにびっくりして、一方で、「なぜ日本では政治の話題が "タブー" になってしまっているのだろうと思った。)

 

フランスについて、最近思ったこと。

・いろいろあるんだけど、とりあえず、また猛暑が戻ってきた。

日本でももちろん猛暑のニュースとか、暑ければいっぱい取り上げるけれど、40度を超えるにあたって、今回、フランスの国鉄が「夏休みの旅行の延期」をすすめたり(キャンセル料無料にするまで!)、保育園がおやすみになったり、『ここまでやる・・・!?』とつい思ってしまったりもする。前回の猛暑では、中学生の卒業試験が延長にすらなった。まあ、日本の豪雪でセンター試験や入試が延期されるのと同じなのかもしれないけれど・・・。

でも。

フランスはそもそも夏ってさらりとして暑すぎずとても快適でクーラーなんて基本的にいらないからで、フランスの人たちが暑さに慣れていない、ということが大きいのかもしれない。(先月の猛暑でも亡くなった方がいたし、2003年の歴史的猛暑では、なんと1万5千人もの方が亡くなったという。)

でも。

同時に、「もし頭痛や発熱を感じたら、薬を飲むのではなく病院へ」とすすめるニュースでさえ「お医者さんもバカンスなので、あいていないかも知れませんが・・・」と言っていたことに、『フランス・・・!!』と思わずつっこみそうになってしまった。

フランスは自他共に認める「バカンス大国」なので、夏休みはものすごく大事。いまいるテレビ局でも、たとえばニュースや時事について専門家にインタビューをするにも、「ほとんどのひとがバカンスで地方にいる(パリにいない)」というのが大前提になっている。日本じゃ考えられないと思う。そのバカンスだって、たとえばGWなんかとちがって1か月単位なので。

 

お医者さんも仕事。バカンスをとる権利がある。「バカンス」はある種、フランス人にとって、「否定してはいけない」大事な権利なのだ。

ただ、「バカンスに行けない」人もいる。そして、バカンスに行く文化を持たない人もいる。そこらへんのはざまの現実が、フランスという国の矛盾なのかもしれないと思う。

一方で、日本の場合は、フランスほどラディカルにならなくていいかもしれないけど、日本も、もう少し、「休む権利」「人間として生きる権利」が、社会に浸透したらいいな、と思った今朝でした。

 

つぶやき、以上でした。

バカンスと生産性のはなし。

夏です。

夏休みです。

バカンスです。

こどもにとっても、おとなにとっても。

 

まだ引き続きフランスにいるわけなのですが、こちらでは、もう7月入った頃くらいから人々がそわそわし始めます。なぜかといったら、バカンスが近づいているから。

 

私のいる部署全体も、なんだか、だんだん機能停止をしていく機械のように、だんだんすべての作業量はゆっくり確実に下がっていっています。おとなでも夏休みって、あるんだ。というのが、ものすごくフランスの大発見。

もちろん、働くひとはバカンスもなく働き続けるし、バカンスをとりながらも社会が機能し続けるための仕組みは存在するし、「フランス!バカンス!働かない!」というのはステレオタイプだと思う。

ただ、バカンスをこれほど社会の大多数が重視していながら、それでも機能し、存在感を維持しているこの国(もしくはヨーロッパ)のひとたちの「働き方」の生産性は、やっぱり高いんじゃないかと、いっしょにいて、思う。

仕事のあいまに雑談はするし、横道それて長々と井戸端会議しているし(放送時間近づいているのに!)、役所や窓口の仕事はとても遅いけれど、少なくともTV業界においては、日本と同じこだわりや取り組みを感じる。ちがうのは、集中力と突破力、そしてやっぱり生産性だと思う。

そこには、ものすごく論理的・合理的な考え方で、働き方を明確に仕事分担している(日本のようにふんわりとした分業ではない)、「知らないものは知らない、〇〇に聞いてみよう」と、だれに聞くべきかをだれもがすぐに分かる、「やすみ」は「やすみ」と割り切る、、、などなど、日本とは考え方の根っこが違うことを感じる。

 

日本のひとたちってなんとなく、「ほかの人が働いているのに私だけ帰るの申し訳ない、、」と思うべき(!)とか、「知らなくってごめんなさい」となぜか申し訳なく思ったりとか、「やすみ」だけど頼まれたから行かないと、、、みたいな思考回路になったりとか、している気がする。

私だけかもしれないけど、いやでも、私のまわりにいる日本の人たちはそういう気質な気がしている。それがやさしさでもあって、忍耐強さでもあって、私は日本の人たちのそうしたところも大好きだけど、でも、もう少し肩の力を抜いて、そのぶん短期集中でえいっとやってしまう、こっちの働き方を取り入れるのもいいのではないかと、バカンスにうきうきと旅立つおとなたちを横目に思うのです。

 

"記者"と"ジャーナリスト"

新しいこと、自分がまったく想像つかないことに挑戦していると、体感的に、時間が過ぎるのは「ゆっくり」「みっちり」に、感じる。でも、実はあっという間に過ぎて、1日を必死で生きていると、すぐに次の1日が始まる。

それなのに、過ぎた後に思い返すと、ものすごく時間がたったように感じる。先週の月曜はわたしにとって、1か月くらい前のことのように感じる。

そんなこと、ありませんか?

 

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はい。先週ぜんぜん更新できていなかった言い訳です。

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でも、この感覚は本当にあっていると思っている。

子どものころ、時間がたつのが毎日ゆっくり、長かった。ゆっくりで、たとえばクリスマスとか誕生日とか楽しみを前にしているととくに、次の日がまちきれなくて退屈に感じることもあった。

それがなぜかというと、「経験値がまだ少ないから、ひとつひとつ次に何が起こるか予想がつかないから」で、おとなになるにつれて「1年あっというま!」となっていくのは「経験値が増えて、どんなことも "想定内"」が増えていくから、という話をどこかで聞いたことがある。

 

本当なのか、根拠は分からないけど、私はこの話にしっくり納得した。

なんでかというと、私にとって、震災後の東北で過ごした日々は本当に毎日が予測不可能で、時間がすごくたくさんあるように感じた。

"退屈"はまったくしなかったけれど(そもそも退屈というのは、これまた「楽しい時間の過ごし方」を知らないからなんだと思う。いまは退屈なんてしない。)、とにかく時間がゆっくり、長く感じた。発見の連続で、「みっちり」「ぎっしり」だった。でも、必死だったから、1日1日がものすごく早くも感じた。

 

うまく書けているかな。。

ただ、時間って本当におもしろい。体感と、物理的な時間って、ちがうもんね。時間って、わたしたちひとりひとりのなかに棲み着いた生き物のように思う。

 

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なんでそんなことを書いたかというと、先週から新しい仕事をしていて、新しい職場で、とにかく毎日必死に生きていたら1週間が過ぎてしまったんだけど、振り返ると月曜が1か月前のようにも感じたのです。だけど、あれ?その割に、ブログだとか勉強だとか、ぜんぜん出来ていない。なんでだろう、、、と思って浮かんだのが、この「時間」の話。

 

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「記者」と「ジャーナリスト」の違いを最近、よく考える。

 

日本では、マスコミュニケーションで働くひととしては、「記者」ということばを使われることが多い。「ジャーナリスト」というと、フリーランスのひとたちのイメージではないだろうか。

(戦争ジャーナリスト、とか、フォトジャーナリスト、とか。たとえばシリアの取材などでは、山本美香さんや安田順平さんが浮かぶひとも多いのではないだろうか。)

 

読売新聞や朝日新聞で記事を書いているひとを「ジャーナリスト」というのは、たとえば他局の番組にもゲストとして呼ばれるようなよほど著名なひとでない場合をのぞくとそんなにないだろうし、NHKやテレビ朝日で報道に携わっているひとのことも、「記者」とか「ディレクター」「プロデューサー」とは言っても「ジャーナリスト」という表現はしっくりこない気がする。

 

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ちなみにフランスでは、「ジャーナリスト」というのは「医師」や「技師」のような、専門職的な意味合いが強い。「プレスカード」を国によって発行されているひとたちのことだ。

 

そして、日本の報道関係者が、就職活動によって採用され、就職したあとに "1" からノウハウを学んでいくのが一般的であるのに対し、報道の世界に入るにはまず、「Ecole de Journalisme(エコール・ド・ジュルナリズム)」というジャーナリズムの専門学校(大学卒業後に進学する、院の専門化したもののイメージ)で勉強するのが基本だ。そこでは、メディアの歴史など一般的な講義にあわせて、テレビ、新聞など書くメディア、ラジオ、というみっつの業界それぞれの技術的な知識を身につける。たとえばテレビならカメラ・音声機具の扱いから編集、カメラに向かって話すスキル。新聞や雑誌では、みずから書く雑誌を作る実習。ラジオだと、じっさいにラジオ番組を制作・校内放送する、など。

(ちなみにここで言っているのは、日本で言う「記者」や「ディレクター」を目指しているひとたちの話で、専門のカメラマンなどになるひとたちはまた違った学校へ行く。)

日本でもカメラや音声など技術職であるひとはもともと専門学校や大学で勉強してくるひとが多いけれど、記者やディレクター職につくひとのどれくらいが、大学時代にそうした実践スキルを身につけているだろうか。

 

ちなみに私ももちろん残念ながら平凡な日本人なので、そうしたきちんとしたジャーナリズムの基礎を学ぶ機会は就職するまで全くなかった。個人的にメディアには関心があったので、「メディア論」に関する授業や課題は積極的に学んできたが、どちらかというとそれは学術的な視点で、実践的なものでは全くなかった。

だから、デジカメの扱いなんかもものすごく苦手だったし、編集機で思うように編集できるようになるまでも、ものすごく時間がかかった。(自ら映像制作技術を身につけてたYoutuberの皆さんに、当時の私は、あたまが上がらない。。)

、、、と、こう書いていても、なんだか情けなってくる。

ただひとつだけ今振り返ってラッキーだったな(もしくは良かったな)と思うのは、学術的な視点でメディアを論ずる授業を多く受けていたことだ。たぶん、わたしが心理的に客観的な距離をとり続けているのは、もともとテレビに関心が低かったという性分もあると思うけれど、こうした授業の中で批判的な意見をきちんと聞き続けてきたからだ。でも、批判的な視点を身につけ過ぎて、TV局に入ったくせに、メディア不信がものすごく強い、というのもあるけど。。(就活の時にも堂々とメディア批判を続けてて、いま思うと、どんな向こう見ずだったかと思う。。)

 

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そう。

わたしが思ったのは、

こうして教育・訓練されて「ジャーナリストである」という自覚を持っているフランスのジャーナリストたちと、

一気に始まる就職活動のなかのひとつの選択肢としてメディアを目指し、「ゼロ」から夜回りだとか記者クラブだとかロケだとか編集だとかもろもろを学んでいく日本の記者たちの、精神面・物理面での "違い" だ。

 

昔から、日本のメディアで働くひとたちは、そもそも就職した時点で「終身雇用」がある程度は保障されており、その企業ごとの「ゼロからのジャーナリズム教育」がなされていくので "飼い慣らされる" と批判をされてくることがあった。

それと比べて、フランスのメディアで働くひとたちは、まず「一個人」としてジャーナリストであり、その上で働くテレビ局や新聞社を選んでいるのだ。(そのため、業界内での転職は当たり前。かなり流動的な世界なので、安定性はあまりない。)

 

「自立」の度合いが、ぜんぜん違うな、、、と思うのです。

 

個人的には、日本には「記者」はいても「ジャーナリスト」はほとんどいないんじゃないか、と思う。でも、それじゃダメだ、と思う。もっと、メディアの中にいるひとが、組織に頼らず(もちろん組織を利用することは大事だけど)とくに精神的に、自立することっでものすごく大事だと思う。

 

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ここからはわたしの話。

だからこっちに来て最初のころ、フランス語で自分を「ジャーナリスト」と説明することに、気が引けていた。なんか、プレスカードも持っていないし、カメラの使い方もいろんな人に聞きながらの我流だからまだまだ詳しくないし、こちらの人たちに比べて若いし。。。(こっちだとそうした専門学校に入るために浪人するひともいるし、ジャーナリストはえてして年を重ねた人のほうが多い印象のため)

 

しかし、時間がたつにつれて、そういう思いが変わったことも、また事実だ。

フランスにはフランスの風土・歴史があって、仕組みがある。日本には日本にあった社会の仕組みがある。どちらかが正解でどちらかは不正解、ということは決して、ない。

(ただ、"より良くするために"、ほかの例で良いところをみつけたら、それを素直に受け止めて、吸収することがとても重要だとは思っている。)

 

私はきょうまで生きてくるなかで、ジャーナリズムを志す「強い信念」があったわけでは決してない。ただ、社会への自分の関わり方を考え、ときには環境的な影響も受けながら、模索を続けてくる中で、いま、ここにいる。

 

そして私は、自分の納得する定義における「ジャーナリスト」でありたいと思う。

フランスのようにわかりやすい「プレスカード」はないけれど、フランスでみんなに言っているように、日本でも「ジャーナリストです」と言える人間になれるよう、精進したいと思う、きょうこのごろなのだ。(ただ、一方で日本社会の「ジャーナリスト」に対する理解もまだまだ進んでいない気がするので、それはそれで、日本の社会がもっと、ジャーナリズムやメディアの影響について自覚的にならなくてはいけないのではないかと、個人的な危惧として、考えています。)

 

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ちなみにもうひとつ、フランスのテレビ報道において、「いいな」と思ったこと。

"アナウンサー" はいないこと。ニュースや報道番組、討論番組に出ているキャスターはみんな、ジャーナリストであり、皆、スキルと専門知識と責任感を持ってカメラの前に立っている。だから、政治家との生討論番組であっても、自分のことばで切り込むことができるのだと思う。

「女子アナ」とかいったり、芸能人とまぜこぜになったりしている時代が、そろそろ変わるころになるといいなあ、、、と思ったりもする。(アナウンサーさんの仕事を否定しているのではなく、これもまた、「自覚」の問題なのかもしれないけれど。)

 

みなさんはどう思いますか?

 

パリを観光で訪ねること。

おとといから仕事を始めたことで、更新ができなかった・・・。

せっかく毎日更新できてきていたのに、反省。限られた時間で書けばいいのだけど、殊、適当な情報をもとに書くのはいやという、ちまっとした自分のこだわりもあって。(書くのなら、どこかの記事や情報源を明らかにできる情報をもとにしたい。)

なにはともあれ、精進します。

 

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きょうもまた仕事のあいまのやすみ時間に、それでもさくっと!と思い。というか、けさのニュースの中で気になる話題を見つけたので、日本にもつながるかなと。パリジャン紙の記事で、タイトルが「スリ、トイレ不足、交通…パリの観光客の障害物競走」。

www.leparisien.fr

 

2018年、パリとその周辺地域に、5000万人の観光客が訪れたという。(ちなみに日本は3000万人ほどとのこと)。

日本は全国あわせてこの数字なのに対し、パリは、実際は東京都の世田谷区ほどの大きさしかない小さな町だ。日本でも、近年外国人観光客が増えていることを実感しているひとは少なくないと思うのだけど、その1.5倍以上の人数が世田谷区にやってくると思ったら、すごいことではないだろうか。

 

先週、パリ市では「パリに観光客が多すぎるか?」というテーマの会議が開かれたそうだ。観光は、もちろん経済発展や文化振興に貢献するが、一方で地元住民たちの生活に少なからずの影響が出るため。

でも、「国立ガイド連盟(Fédération nationale des guides interprètes et conférenciers)」の副代表(ガイド歴24年)曰く、『パリに観光客が多すぎることはない。ただパリはもっと質の高い受け入れ力を身につけなくてはならない』と語った。

それが、スリ、トイレ不足、そして交通トラブルなのだ。

 

どれもいまの日本では縁の遠い話にように感じる。

治安の良さで世界に知られる日本では、スリはおろか、電車に忘れたかばんでさえも返ってくることの多い国だ。トイレはどこにでもあるし、ウォシュレットや音姫も完備しているものがほとんどだし、最近ではおしゃれを極めているものさえ少なくない。交通トラブルも、通勤ラッシュ時の満員電車は少し異常かもしれないけど、それでも新幹線は時間通りにくるし、急に止まったりストライキしたりすることもない。

 

フランスは、すべてにおいて、正反対の国なのだ。

 

きのう、たてつづけに初対面の2人のフランス人から「日本人はパリに来てショックを受けるって本当?」と聞かれた。

フランスでは「パリ・シンドローム(パリ症候群)」という病名も実在するその病気は、パリにやってきた日本人女性が、夢見ていたパリと、実際に来て違ったパリに混乱し失望し、精神を病んでしまったことで名付けられたという。

 

エッフェル塔や凱旋門、セーヌ川にモンマルトル、ノートルダム、、、とてもきれいでロマンチックなイメージが広く知られるパリだが、実際に来てみると、いろいろと現実は甘くない。

道路は汚いし、フランス人は感じの良いひともたくさんいる一方で「どうして?」と疑問に思うほど感じ悪いひとも山ほどいる。確かに、心地よいとは言いがたい、、、と思うことも多々ある。

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ただ、そこもその国の個性だよなあ、とも思うのです。

トイレがないことも、道路に犬のフンがたくさん放置されていることも、メトロが古くて汚いことも、たまに変質者(日本の痴漢のようにむっつりではなく、フランスの変態は本当に変態)。それもひっくるめて、パリなのだと思うのです。

 

世界はしっちゃかめっちゃか、複雑で、だからこそ豊かで美しい。

ということを、パリで教えてもらった私は、過度に整備が進んで均一化が進んでいくことに、一抹の寂しさを感じたりもします。

ただ、特にバリアフリーの観点でパリは本当に住みづらいと思う。実際に赤ちゃんいる友人はベビーカーがあるとどこにも行けない、と嘆いていたし、お年寄りの方や障がいのある方にやさしいかと言えば、ちっとも優しくない町。そのぶん助け合い(声をかける)文化が日本よりは広がっていると思うのだけど(メトロにベビーカーのひとがいたら、階段を上るのをいっしょに手伝ってあげるとか。エスカレーターはたまにしかないし、よく止まっているので、、、)それだけじゃ全然足りないくらい、当事者にとってはものすごく不便だと思う。

 

その国の個性や豊かさ、あとちょっとの変な部分も残しつつ、それでも、やさしいまちになるのが、いいなあと思う。観光客にとって良い町が、住民にとっても良い町になったらいいなあ、とも思う。

 

どんな町を旅して、どんな町に住みたいですか?