森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ…

というところまでは本当にあっていると思う。有名な、宮澤賢治の詩です。

 

そのあとの、

丈夫ナカラダヲモチ、欲ハナク、決シテ瞋ラズ、、、

あたりからはちょっとどんどんずれてしまうけれど。

 

はい。「ジレ・ジョヌ」(黄色いベスト運動)のデモをしている人々のことです。

いちばん最初に日記で書いたのだけど、私のフランスでの学業と切っても切り離せなかった、フランスにとって大きな一局面でもあった、彼らのデモ。

 

mori-kei05.hatenablog.com

 

今日は、最高45℃超も記録しており、亡くなられた方もいるようで、「これは本当に前例がない!」と声を挙げるメディアも多いので、 「暑さ」について書こうかな…とも思ったのです。

でも、ちょっとトピックをざっと洗い出す中で、「あれ、きょう土曜日、、、(ということは!)」と思い至り、「ジレ・ジョヌ」のワードを調べてみたら。

 

そう。やっぱり今日も、彼らは動いていた。

、、、こんなに暑さの中でも!!!

www.lemonde.fr

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ただ、やっぱり以前と比べて減少傾向ではあるよう。

このルモンドの記事も、タイトルは「衰退しつつある"ジレ・ジョヌ"は活路を模索する」というような意味。

でも。

活路を模索するというその目的のために、今週の土曜と日曜、全国の「ジレ・ジョヌ」の代表者200人が集合して、今後どうするかのために話し合うんだそうなのです。

集合場所は「Montceau-les-Mines(モンソー=レ=ミーヌ)」。

パリからなんと300キロ以上南東。電車でさえもなんと5時間半かかる。(フランスってパリを中心にしか鉄道が走っていなくて、地方へのアクセスがとても悪いのです)。

 

内容は今後どうしていくかにつきるそうなのだけど(特にジレ・ジョヌは、最初は燃料税の増税反対から始まったけど、根本的にはマクロン大統領の政策、ひいてはマクロン政権に反対の立場)、それより何より。「ジレ・ジョヌ」って本当に、SNSなどをとおして始まったうねりであって、正式なアソシエーションとか組織がなかったのです。一番過激化していた当時も「(意見を)インタビューしようにも誰に公式見解を聞けば良いか分からない」と既存の大手メディアが困っていたくらい。

それほど、ある意味とても草の根的な活動である(つまり、かたちがなかった)にもかかわらず、200人もの代表者がわざわざ全国各地からへんぴな地方都市に集まるって、すごくないですか。

(言い方失礼でしたらごめんなさい。でも、パリでもボルドーでもリヨンでもなく、この「モンソー=レ=ミーヌ」という都市であることが「ジレ・ジョヌ」の意味でもあると感じるのです。)

しかも、こんな暑い日に。バカンスも目前の、ソールド(大バーゲン)も始まった、この週末に。土曜と日曜の週末両方を使って。

(ちなみに今日のモンソー=レ=ミーヌの最高気温は31℃だそう。パリは35℃。少しだけすずしそう。)

 

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日本でも、東日本大震災の福島原発事故を契機に少しずつ「デモ」という文化が以前より活発になってきているのではないか、と感じています。

昔は、それこそヘイトスピーチや、極右の黒い車が、ゲリラ的に街角に現れる、というのが一般だったけど、政権への意志表明や#MeToo、LGBT、そして今年はフラワーデモなど、SNSをとおしても、人々が声を挙げる文化は着実に広がってきている。

 

声は挙げないと伝わらない。

権力を持つ人たちは、いとも簡単に、声を挙げずに困っているたくさんの人たちのことを見過ごす(ふりをする)。

 

革命という、無数の市民たちがいろんな思いや主張、ときには誤解もありつつも、必死で自分たちの「権利」を求めて戦った国。最終的には市民たち自らの意志で、国家の最高権力であった「王」をギロチンで死刑に処した国。

フランスの人々の根底には、「自分の権利は自分で守る」という強い意志が、やっぱりいまも、強く根付いていると感じる。

 

だからこそ、このジレ・ジョヌは、去年の秋から、雨にも、風にも、雪にも、暑さにも、きっと睡魔やたくさんの妨害やジレンマにも負けず、声を挙げ続けているのだと思います。

もちろん私は、ジレ・ジョヌの主張に同意はしない。でも、その姿勢ってやっぱり、すごい。と、思うのです。