森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

こころを整理するために

日本に帰り、半年ほどが経ち、

2020年になり、

4ヶ月がたち、

震災から9年の節目を超え、

コロナウイルスが大きな騒動になり、

東京オリンピックが延期になりました。

 

 

あす、社会がどうなるか。国家がどうなるか。世界がどうなるか。

予測の出来ない、不安な時代に生きるわたしたち。

それでも、どんな”激動”の世界を生きているとしても、朝が来て、夜が来る。おなかが減って、ご飯を食べて、笑って、泣いて、怒って、悲しんで。人を好きになって、嫌いになって、けんかして、仲直りして、感情は巡る。

 

そんな時代に。

 わたしは、3年前に起きた、社会から見たらほんのちっぽけな、ミトコンドリアかミドリムシレベルの出来事に、いまだ心を乱され続けている。自分の日常の平穏も保てないほどに。

 

さっき、10年以上の友だちに、自分のこころの膿が出きっていないことを気づかせてもらった。

遠く離れた外国に住んでいて、いまはふたりのこどものおかあさんとして頑張って日々を生きている、尊敬する昔からの友だちに。

その膿をつくるきっかけとなったのは、同じく10年以上の昔の友だちと、昔の恋人。

 

自分のこころに大きな傷を作った出来事にふたをし続けていても、その傷は、ほかの出来事や感情にまで膿をもたらすから、つらくても、何がいやだったのか、どんなことがあったのか、何を感じたのか、言語化した方が良いのではないか、と、友だちは控えめに、優しく、でも説得力のあることばで、私に言った。

 

最初、紙に書こうと思った。

でも、なんでだか、紙に、文字で残るのが耐えがたいと思った。

なので、ここに吐き出します。ほんとはもっと、建設的で知的でクリエイティブな日記にするはずの場所でしたが、今後どうなるかは分からないけど、半年ほど放置していた、この、宙ぶらりんのブログに、こころの澱を投じようと思います。