森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

この世とあの世、の概念について思ったこと。

昨日、友だちとお寿司(前に書いたフランスのおすしじゃなくて、本物!)を食べに行ってきた。

mori-kei05.hatenablog.com

 

とってもおいしくて、なんていうか店内の匂い(空気?)自体が日本で、もうしみじみと(あじとか、イカとか、、、サーモン以外食べてないこと久しく)うれしかったのだけど、お寿司に加えて面白かった発見があったので。

 

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友だちと、「最近映画に行った?」という話をしていて、このあいだ見た「海獣の子ども」の話をしたとき、「日本のアニメって、難しい(おとな向けだよね)」という話になった。

(フランスは日本の映画がとても人気で、特にアニメはかなり人気なので、ほとんどのアニメ映画はこっちでも間をあけずに公開されている。)

 

友だちは同い年なのだけど、前に親戚の4歳の子どもと「未来のミライ」を見に行ったとき、「なんで妹なのに年上なの?」と根本的なことを聞かれて説明できなかったのだと。

www.allocine.fr

それで、「君の名は」なんかさらに難しくて、たぶん子どもだとこんがらがっちゃうよね、という話になって、

www.allocine.fr

「おとなと子どもがどっちも見て楽しめるのって、ジブリくらいじゃないかな?」と私が言ったら、友だち曰く「ジブリもよくわからないところがある」と。

 

どんなところかを訪ねると、

「千と千尋の神隠しで、どうしてちひろのからだが見えなくなったのかとか、不思議な世界に行ったことをどうして親は覚えていないのかとか。トトロで、なんで子どもはトトロが見えるのに大人は見えないのかとか。」

と言う。

 

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それって、考えてみたことのなかった点だったのだけど、確かに日本に暮らしていると、「神隠し」だとか「不意に異空間に行っちゃう」とか、"この世"と"あの世"の境界にある「三途の川」だとか、ジブリを見るにあたっての「土台」があるなあと思ったのでした。

それで、日本だと、座敷童とか神隠しとか、そういう「生者の世界にいる不思議な存在」というものが、小さい頃から身近に感じられる、という説明をして、「ゲゲゲの鬼太郎」を紹介した。

www.toei-anim.co.jp

 

確かに海外で日本のアニメは大の人気で、ドラえもんはもちろん、キャプテン翼とかセーラームーンとかアタックナンバーワンとかはもちろんかなりニッチなものまで普及しているのだけど、「ゲゲゲの鬼太郎」って、ものすっごく日本っぽいなあって。

 

だって、主人公自身が「妖怪」で、毎回異なる種類の「妖怪」が出てきて人間の世界に悪さをして・・・っていうストーリーを、毎週日曜日の朝に子どもむけに放送している。その影響力の大きさたるや、すごくないですか?しかも、かなり前からずーっと。

もちろんそれをまるごと子どもが信じるわけではなくても、自然に「日常に"不思議なもの"が潜んでいる」と想像するようになる。「トイレの花子さん」とかだっておんなじだ。

こういう概念とかこういう文化って、フランスにはない。

 

エクソシストとか、ゾンビとか、もちろん死者がよみがえるホラーの概念はこっちにもいるけれど、それとはぜんぜん違う、世界のとらえ方なのだ。

 

あたりまえだけど、ジブリがホラー、といいたいのではなくて。

日本人は、「千と千尋の神隠し」を見たときに自然と、「ああ、ちひろは、不意に"不思議な世界"に迷い込んだのだなあ」と受け止めるし、トトロだって、「さつきとめいは、森の "不思議" に触れたんだなあ」と、こころのどこかで受け止めている。だから、おとなが見えなくても、なんにも違和感を抱かない。

 

友だちと、お互いの経験した「不思議な体験」について話しながら、改めて、日本とフランスの違い(というか、日本の独自性というか?)を感じたのでした。

日本って、宗教が特定されないところも独特。ベースにきっと「八百万の神」の信仰があることも大きいと思うけれど、「神様」とか「あの世」の概念を信じているのに、その哲学はふんわりしている。

 

おもしろい気づきでした!

 

ちなみに、わたしもけっこう不思議な体験を身近に生きてきたけれど、彼女はペール・ラ・シェーズ墓地というかなり大きな墓地の近くに住んでいるから、不思議な経験をかなりしていて、お寿司を食べたあとに夜道を歩きながら聞くの、けっこう普通に怖かったです。。。