森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

パリ8区。

さっき更新したばかりなのだけれど。

 

mori-kei05.hatenablog.com

 

ふたつめになるけど、きょう、行ってきた8区についても。

8区は、パリのやや西寄り、セーヌ川の北岸(右岸)に面している。なんといっても、7区・8区はフランスの政治・行政の中心であって、エリゼ宮はもちろん、凱旋門やらシャンゼリゼ大通りやらコンコルドやら、華々しいエリアだ。

ただ、面積的には小さいので、あっと気づいたらたぶん通り過ぎているんじゃないかと思う。隣接しているのは、西側に16区、北側に17区、東側に9区と1区。あと、セーヌ川の対岸に7区。

 

あまり住宅は多くないけれど、観光名所や大きな駅サン・ラ・ザールもあるが故に、きっとパリを訪れた多くの人が知らず知らずにでも歩いている地区だ。

 

そんな8区は、なにしろあまのじゃくで「人が行くところはきらい」な私にとってはすこし遠い地区。でもやっぱりなんだかんだの思い出も。

 

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ひとつめ。オスマン通り(Boulevard Haussmann)。

オスマンさんは、そもそも現在の「パリ」を作ったひととして知られている。ナポレオン3世の時代の、パリ改造のことだ。特に象徴的なのが、凱旋門をのぼったときに発砲へ広がる大通り。とってもきれいに広がっている。そして、そこから小道がつながる。こうした「ザ・パリ」の町並みを作ったのが、当時のセーヌ県知事オスマンだった。

凱旋門から放射状に広がる大通りのひとつが「オスマン通り」なのだけれど、この通りはわたしのこの1年の思い出に残った。なんでかというと、ここをずーっとまっすぐ歩くと我が家のあるレピュブリックまで行けるから。

修士の授業について行けなさすぎて、しょんぼりしながら、なんどもこの道をとぼとぼと家まで1時間くらいかけて歩いて帰った。なんでかというと、大学が、この凱旋門から少し南西に歩いたところだったから。

悩んでいるときや落ち込んでいるときに歩く癖がわたしにはあるようで。

クラスメイトの友だちに電話で励まされながら凱旋門横を歩いた記憶が、くっきり刻まれている。(ぜんぜん華やかじゃない・・・笑)

 

ふたつめ。モンソー公園。

17区との境目あたりにある公園。きれいです。うん。

さんぽしたり、芝生で寝転がったり、ジョギングしたり、みんな思い思いに過ごしているきれいな公園。学生のときに見たオムニバス映画「パリ・ジュテーム」のなかのひとつの物語のロケ地にもなった(アルフォンソ・キュアロンが監督)。これは、モンソー公園が直接出てくるわけじゃないのだけど、フランスの子育て事情やおとなの事情が垣間見えてかわいいエピソードだ。

あと、日本には「モンソー・フルール」がやってきていて、ちょっとおしゃれなお花屋さん、のイメージだけれど、こっちでは、リーズナブルな花屋さん、のイメージ。

www.concent.co.jp

私にとってモンソー公園やモンソーフルールは、なんだか外から見たフランスと、じっさいに暮らして見えるフランスの、「ずれ」がやさしく見える地区。

そんなに行ったことはないけれど、10年前にはインターン先で出会った同世代のフランス人青年と、今年はフランス人マダムと、公園内でつらつらとおしゃべりを楽しんだ思い出。

 

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あと、凱旋門やシャンゼリゼ通りについては、とくに10年前、日本人の女の子の友だちが訪ねるたびにぜったいにフランス人のおじさんにナンパされていたのが、印象的な思い出だ。

フランス人のおじさんたち(男性たち?)のなかで「親日家」が一定数いて、そうしたひとは若い日本人の女の子に話しかけ、パリの小ネタを披露し、カフェをごちそうし・・・という流れがある。

フランス人の、とくにおじさんの「ナンパ癖」に警戒心たっぷりだった当時のわたしは、友だちが軒並みナンパされているのにやきもきしていた記憶がある。

なんでかというと、これはサンミシェルという地区のレストランで食事をした際だったけれど、店主のおじさんとの雑談で「日本人の女の子って、簡単だよねえ。すぐ口説けるし(なんならすぐ身体の関係も持てる)。」と言われたのがくやしかったから。

でも、当時の自分も、ずいぶんかりかりしていたな、と今になっては思ったりもする。大学生だったときの自分の、青臭さやきまじめさが懐かしくなったりもする。

 

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なんだかすてきな思い出はそんなにない、8区・・・。

 

皆さんは、フランス、凱旋門に行ったことがありますか。

どんな思い出が、ありますか。