友人R
誰にでも忘れられない人生の一コマがある。そのコマの積み重ねが人生なのだと思う。
幼い頃に見た、情景。
小学校の日常のなかで起きた出来事。
遊んでいる中で友だちの言ったひとこと。
夕ご飯のにおい。
誰かとの出会い。
そういう情景が折り重なった結果が今の自分だし、そういう情景そのものが「思い出」だったりする。
■◇■
私にとって、友人Rとの出会いは、入学したてのころ。大学のキャンパスの二階のわたり廊下だ。
私の大学の作りは少し変わっていて、欧米風というか、吹き抜けの巨大な建物の中心に大きな通りがあって、両側にわたり廊下と教室が張り巡らされている作りだった。
その、2階のある教室をのぞきこんでいた数人の同級生たちのなかに、彼女がいた。
もしかしたら、もっと前に出会っていたのかもしれないし、ことばを交わしていたのかもしれない。
確認したことはない。
ただ、私にとって、忘れられない情景として浮かぶのは、どこかの教室を何人かとのぞきこんだ私の後ろに彼女がいて、振り向きざまに、ちょっと濃いめの青のギンガムチェックの洋服を着て、パーマのかかったながめの黒い髪の毛の彼女が、はきはきとした声で、何かを言った、その様子。
はきはきとした彼女の声に、「ああ、この子は、自分に自信があるんだろうな」と直感的に思ったことを覚えている。
そして、コンプレックスのかたまりだった私は、そういう、”自分に自信のある”タイプは苦手だ、とも最初、思った。
それがなぜ、あんなに仲良くなったんだろう。
気づけば、授業の前後も、休み時間も、いつも一緒にいた。
ほかに一緒にいたのは、どちらもこれまた私とは全く違う性格の持ち主、友人Mと、友人F。
Mは、彼女をイメージしてイラストを描いたら思わずぱっちりまつげを書きたくなるような、とってもかわいい、女性らしいタイプ。
Fは、アメリカンガールに憧れる、オーバーオールとか、くっきりした紫色でぴたっとからだのラインを浮きだたせるようなトップスを着ている、おしゃれなタイプ。
はきはきした声の、整ったかしこい顔立ちのR。
それに、自分がいていいのか分からないと不安な気持ち(でもそれは外には伝わってなかったみたいだけど・・・)と日々戦っていた、なんだか垢抜けない私。
お昼ご飯はたいていいつも一緒。
学食で、おかずを買ったりお弁当を作ったり、お菓子を作って持ってきたり。
そのまま、授業のないコマにお茶をしていることも多かったけど、そんなときもRは、「私、勉強してくる」とひとりで図書館に行けるひとだった。
「無駄に授業の出席率を下げたくない。評価を下げたくない」と、悪びれず言って授業に行くことの出来るひと。優等生。
まわりの空気をつい読んで、出てもいいなと思っている授業をサボったり、わざと「勉強したくない」と見せかけたり、小手際であわせようとするずるい私には、彼女のすがすがしい優等生ぶりがまぶしく見えた。
そんな彼女と、MとF。
4人組でわたしたちはいつも一緒にいたけど、そのなかでも彼女Rの存在は、私の中で常に大きかった。
きっと私にないものを持っていたからだと思う。
憧れと、嫉妬と。
成績や知能のレベルも、同じくらいだったのだと思う。
でも、明らかに、キャラクターと外見では、自分にコンプレックスがあった。
クラスの中でも、なんだか大きな声は出せない自分。大柄で、見た目もぱっとしない自分。
かたや、ほっといても、「美少女」とも言える外見の彼女。どんなときでもまわりに無頓着に「〇〇したい」と公言できる彼女。
そんな彼女の友だちであるということさえ、無意識に自分のアイデンティティにしていたのかもと、今となっては思う。
素敵な友だちが友だちである、という事実で、自分の価値も高めようとしている、という。とにかく、留学する前の私は、生きていることがつらくて仕方なかったから。
彼女との忘れられないいくつかの光景がある。
ここまで書いてみても、こんなちょっとしか書いていないのに、当時の私にとって、彼女の存在がいかに必要だったのか、どんなに大きな存在だったのかを、いま、改めて感じている。