森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

パリ19区。

ちょっといま、ショック。。。

 

さっき、忘れぬうちにきょうめぐった19区と18区も書こう、と思って、19区を書いていた途中だったのだけど、保存したつもりが消えていた。悲

・・・でも、気を取り直して、新たな気持ちで、書き直す。。

 

19区は、西側の18区と東側の20区にはさまれていて、南側には10区、北側にはやっぱり環状道路のペリフェリック(Périphérique)越しに郊外に接している。

この、18区、19区、20区というのはいわゆる「治安が悪い」と言われがちな地区で、しかもそんなに観光場所がないので、初めてのパリで訪ねることはそんなにないと思う。でも、サンマルタン運河(Canal Saint-Martin)やビュット・ショーモン公園(Parc des Buttes-Chaument)や、実はフィルハーモニー・ド・パリがあったりして、緑が豊かな地区でもある。

友だちでも住んでいるひとはけっこういて、わたしにとっては、「花の都パリ」というより「素顔のパリ」、というイメージ。なので、やっぱりぽつりぽつりと思い出がある。

 

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ひとつめは、サンマルタン運河。

これはもう、まず最初に多くの人がきっと分かるのは、映画「アメリ」の主人公アメリ・プーランが水切りをしている運河、ということじゃないかと思う。

movies.yahoo.co.jp

ただ、じつはこの映画のシーンで出てくる運河は19区ではなく、10区だ。(もう少しセーヌ川に近いほう)。

よく考えてみると当たり前なのだけれど「運河」(船舶がとおるために作られた水路)なので、これはセーヌ川に通じているのだ。

19区のサンマルタン運河は、アメリで出てくる運河よりも広々としていて、なんだか別物のようにも見える(けどもちろんつながっている)。

とくに、メトロの2番線、5番線そして7bis線が通っているジョレス駅(Jaurès)を出てすぐのエリアは、再開発されたみたいでものすごーく広々した空間になっていて、映画館やら運河沿いでのビアテラスやら、おしゃれスポットになっている。

わたしにとっては、友だちとぷらぷらさんぽしながらおしゃべりした思い出のある場所。そして、なぞの綿毛がふわふわと飛び交っていた記憶・・・(あの綿毛はどこから来たのだろう?たんぽぽの綿毛の5倍くらいの大きさで、木の幹やベンチや地面に積もって雪みたいになっていて、たぶんきっと、木の綿毛・・・?)。

やっぱりだんだん、わたしたちの年齢になってくるといろんなことを考える。仕事は、恋愛は、結婚は、これから生活する場所は?

ほんとうに偶然なのだけれど、このジョレス近くの運河沿いで、何人もの友だちと、同じようにつらつらと話をした。

 

あるひとは、恋人と別れそうであること。結婚や今後のことを見いだしかねているということ。

あるひとは、自分の仕事の将来性について、不安をずっと抱えているということ。

あるひとは、来年からアフリカへ新天地を求めて行く決意を固めているということ。

 

ひとがいる分、それぞれの悩みや希望や目標はちがう。私と同じ思いで同じことをしている人は、たぶん世界に二人はいない。いや、もちろん、似たような問題意識だとか似たような職業、というひとはきっと絶対いるけれど、生まれ持ってから誰かにコントロールされ続けていない限りは、「完璧に一緒」なんてことはあり得ないのだ。

そんなことを、思う場所。

あと、この駅の近くには屋台が出ていてビールやカクテルやちょっとしたおつまみを買えるのだけど、ビオの屋台のまわりにミツバチがぶんぶん飛んでいたことも、記憶に残っている。

パリでは、パン屋さんのショーウィンドーに並ぶパンに夢中でかじりつくミツバチに遭遇することがよくある。でも、みんな、気にしていない。私もこっちに来てから、ミツバチに対しての抵抗感(恐怖心)がすっかりなくなった。

わたしたちも大好きなハチミツをつくってくれて、果物や野菜の受粉を手伝ってくれて、いっしょうけんめい働いてくれている、ミツバチ。

ちょっと、やっぱりハエがたかっている食べものは「ううーん」と思うけれど、ミツバチがいっぱいいるお店やパン屋は「おいしいんだろうなあ」なんていうおおらかな気持ちで受け止められるようになった、この1年の変化。

 

ふたつめは、すこし20区ともつながるけれど、10区との境目に続く、大通り。

この両側にはたくさんの移民のお店が連なっている。アラブ系のパン屋さんや商店、レストランやモスク、中華系のレストラン、スーパー、、、。歩いているだけで、民族の多様さやカラフルさが目にとまる。

そんなかで私が心に残っているのは、小さな扉のモスク。アパルトマンの扉くらいの存在感のなさで、この地区にはモスクがたくさんある。

宗教施設って、その時代の人間の英知が結集している、という印象がある。

たとえば日本だって、お寺や神社は小さいものだってそれなりだし、奈良や京都、鎌倉などを訪ねると、その美しさや荘厳さにやっぱり圧倒される。

パリを始めヨーロッパには大小様々の教会があるけれど、観光名所ではない街角の小さな教会でさえも、なかの空気はしんとして、美しいステンドグラスがある。

モロッコにいったときにはモスクに、タイへいったときはきらびやかなお寺に、バングラデシュにいったときはヒンドゥー教のお寺やイスラムの建物にそれぞれ感動した。

・・・でも、パリのモスクは、違うんです。もしかしたらほかの国にも、こうして存在するのかも知れないのだけれど、ものすごくひっそりと、つつましく、むしろちょっと貧相なのです。存在感を消して、なんとか街に紛れ込もうとしているようで。

信仰の自由はだれにだってあるはずなのだけれど、社会のなかから「不可視化」されているような・・・。

活気のある大通りを歩いていてふっと出会う、ちいさなモスクの扉が、印象に残っている。

 

あともうひとつは、ビュット・ショーモン公園。パリの緑地としては最大規模のものだそうで、斜面が印象的な公園。ちなみにビュット(Butte)は丘、ショーモン(Chaumont)を意味するそうだ。

ここの、転げ落ちそうな斜面で、ピクニックをした。

もともとこの公園は、地下から石膏や石臼が採掘されていたそうで、その跡はゴミ捨て場となって荒れ果てていたところを、前に書いたオスマンさんが公園として整備することを計画したのだという。

いまは、私たちみたいに斜面に負けずにピクニックしているひともたくさんいるし、友だちによると、公園内にあるカフェは夜になるとLGBTのひとたちが集う場になっているそうだ。

歴史をたどるとまったくちがう顔を見せる場所が、人々の穏やかな憩いの場になっているってすごいな、と思った記憶。

 

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夜にかがやくエッフェル塔やセーヌ川沿いのきらびやかなパリもすてきだけれど、やっぱり、実は心に残っているのは、こういう何気ない風景だったりする。

日本のことを考えても、実は何かのときにふいに思い出すのは、通い慣れたじぶんの母校の何気ない廊下や教室の風景だったり、最寄りの駅だったり、じぶんの日常の記憶のすぐそばにある風景だったりする。

 

そういう小さい記憶を大事に生きていきたいなあ、と思うのです。