森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

留学後

そして、帰国しまして。

 

学校が6月に終わると次々に周囲の友人たちが帰国する中、わたしは大学の長い夏休みも謳歌すべく、そしてせっかくの留学という海外の時間を活用すべく、学生ビザの許すぎりぎりまで残る口実を探した。

 

結果、戻ったのは。8月末。

 

9月あたまに、自力じゃなかなか行けない外国に一緒に行かないかと誘ってもらったため、その旅行に間に合うように帰ったのだ。

 

異国・フランスでの、一年間。

 

先進国だし、派遣留学だし、学校だってちゃんとしているところだし、住まいだって安心のエリアで好条件の場所を苦もせず見つけた。

それは、すごく恵まれた一年間に過ぎなかった。

でも、幼い頃から日本から外の世界へ飛び出たくてたまらず、高校卒業と共に海外に出たいという希望を(派遣なら良いけど4年も海外は無理、と止められ)曲がりなりに諦めた自分が、家族の納得を得られるかたちで勝ち取った時間だった。

 

結果として事件や事故に巻き込まれることなく帰ってくることが出来たけれど、異国は異国であり、傷つく経験もたくさんした。

個人的に、生まれ育った国・地域でずっと生き続けることだってサバイバルだと思っている。

 

そんな中で、異文化にどっぷり浸かり悪あがきを続けた一年間。その中で得られたものは、単なる派遣留学の単位や友だちとの思い出だけではなく、自分の根幹に関わるアイデンティティを築き上げるかけがえのない根っこになった。

 

 

何よりも大きかったのは、自分を認められるようになったこと。

自分は自分で良いんだと、ありのままの自分らしさこそがその人の魅力なんだと、腹の底から納得できたこと。

たぶんひとって、自分をちゃんと好きになれて初めて、ひとのことを好きになれるんだ、って、留学の終わりにふと思ったのだ。

 

それまで、誰かが褒められているとそれが跳ね返って自分の欠点を言われているように勝手に脳内変換をしてしまうほどのネガティブな人間だった(いま思うとなぜだか全く分からないけど・・・)。まさに ”空っぽのティッシュ箱” のように、ちょっとの衝撃で凹んでしまうようなメンタルだったのが、なんだか、自分の中に曲がりなりにも ”芯” が出来たというか。

 

◆▽◆

元恋人のSに出会ったのは、そんな矢先だった。

 

だからだったのかもしれない。相手のことを「好きだ」と思えたのも、それをちゃんと"デートに誘う"という素直な行動として表せたのも。

 

「好きだ」と思った相手に好きになってもらえるってやっぱりとっても嬉しいことで。

 

留学から帰ってきて、世界が1年前と打って変わって色づいて見えるようになっていた私は、人生初めて、ようやく恋愛というものを知った。

それはさらに世界がきらきらして見えるもので。

 

大好きな友だちもいて、大好きな恋人もいて、大学の授業は日本語で、言いたいことも知りたいことも、いとも簡単に分かるし伝えられる。そのありがたみたるや・・・!

 

毎日が楽しかった。

 

Sとはいろんな思い出が出来たけど、一番楽しかったこのときの思い出は、なんてことのない風景だ。公園をさんぽしたり、ごろごろしたり、キャンパスの隅っこで授業をさぼったり、夜中に何時間もドライブしたり。

 

その傍らでRを始めとする友人たちとも集まって、たくさん遊んだ。

 

それだけでなく、Sが、私の友だちにも彼自身の友だちにも素直に惚気てくれることが、嬉しかった。

 

"〇〇の彼女"。自分が、そんな立場で認識されるような日がくるとは、留学前の根暗な自分はまったく想像も出来なかった。

 

あるとき、当時、留学時代のフランス人のボーイフレンドと遠距離恋愛を続けていたRに、

「オレンジデイズみたいだね。いいなあ。」

と言われたことを、そもそもオレンジデイズというドラマを知らなかったのだけど、なぜかそのことばを、やけにはっきりと覚えている。

なんで印象に残っているのかは分からないけど。前後の文脈も覚えていない。

でも、嫌みだったり、嫉妬だったりとかじゃなくて、屈託のない笑顔で言われたことは確かだ。Rはそういうときに、人を妬んだりするような子ではないから。それはいまでもそう思うから。

 

あと、同じ頃、ひとり暮らしのRの家に夕ご飯をごちそうにお邪魔したとき、フランス人のボーイフレンドからSkypeがかかってきたことがあった。

そのときのRの話し方がとっっっても優しくて、いたわりと愛情にあふれていて、

「わあ、素敵だなあ。」

と思ったことも、はっきりと覚えている。そんな優しくてかわいらしい話し方を自分がSに対してできているとはとても思えなかったし、そういう話し方がとてもRに似合っていたから。