留学後2
留学から卒業にかけて、「大学生」という、人生の中でもある意味とても特別な時間を ”謳歌” したのだと、振り返ると思う。
合コンとか、飲み会とか、女子会とか、そういう、きらきらした「イマドキの学生」ならではのイベントとは縁がなかったけれど。
部活や、遊び、学び、青臭い議論、酔っ払い、夜中のドライブ・・・
高校生や中学生とも違う。社会的責任は負っていないけれど社会にはある程度参加でき、社会の仕組みについてもある程度理解しながら、そのくせ社会人とは比にならないほどの自由がある。
大学生って、「モラトリアム」だ。
東京の片隅にある大学で、私たちは、”学生にしかできない” 、ある種の青春、ある種のかけがえのない時間を過ごした。
世界のことを考えて悩んで悩んで悩み尽くしたり、
ばかみたいなことでふざけて夜更かししたり、
徹夜するほど話し合ったり、
些細なことで泣いたり。
そして、そんな私の思い出のほとんどにおいて、RとSは”登場人物”だった。
村人Aではなくて、名前のある、登場人物。
同性の友だちであるRがそうであるのは不思議ではないにしても、そもそも恋愛体質ではなく、むしろ反対のタイプの私自身にとって、Sを、それほど私の友人たちにオープンにできたのはなぜなのか。
今でもちょっとわからない。たぶん、Sがとてもオープンで、迷いのないひとだったからだ。
◇□◇
Sは常に私への愛情を表現してくれたし、それを友人たちにも恥ずかしげなく表明するひとだった。彼自身が、そういう ”愛情深い自分であること" を好む種のひとだった。
でも、そんな彼だからこそ私は、安心もできたし、「好きな人に好いてもらえる幸せ」を教えてもらえたとも言える。だから当時の私にとって、そういう彼の性格は好もしいものだった。
◆
ただ。
彼が「結婚」ということばを持ち出すたび、自分の心の中にある、とても乾いた部分を突き付けられた。
「いつ結婚しようか?」
「子どもは何人ほしい?」
「子どもの名前は何がいい?おれは・・・」
たぶん、誰に言ってもちゃんと理解してもらえないと思うのだけれど、当時の私は、心底彼のことを好きだったけれど、結婚するひとは彼じゃない、と思っていた。
現在の夫にも出会っていないし、何の根拠も理由もないのに。
好きな人が見つからなくて苦労した末に出会った、大好きな人だったのに。
どんなに細かく思い直しても、当時、両思いだった私たちの間で、私が不満に感じていたことは何一つなかったのだ、本当に。
連絡もマメだし、かといってしつこくもないし、誠実だし、かといって押しつけがましくもないし、遠いところにドライブで連れて行ってくれるし、手紙も書いてくれるようなロマンチックなところもあったし、私にないものを持っていて、私の知らない世界を見せてくれるし。
予感というのは、たぶん直感というか本能的なものだったのだろうと思う。
自分の留学先が、思わず、しかし結局は自分の本心に近いかたちで変更されていたときと同じで(そのときも実は、結果を見たときに心のどこかで「…やっぱり。」と思ったのだ、私は。)気づいていたのかもしれない。
心のどこかで。
彼に、具体的な未来の話を振られた時には「ふふふ」と笑ってごまかした。
「いやいや」という否定も、
「そうだね」という肯定も、
どちらもしないことだけを、言われるたびに意識していた。
本当にひどいと思うけれど、心のどこかで感じていたのだ。
こんなにもいまは好きだけれど、絶対に ”一生ずっとは一緒にいない” って。
当時の私は、(ことばにしたらとても残酷だけれど)真剣に、「彼はもしかしたら、亡くなってしまうのではないか」とさえ思っていた。
もちろん当時は、暇さえあれば彼に会いたいし声を聴きたい、そんな時期だ。
だから、そういう縁起でもないことを冷静に考えてしまう自分と、その想像が現実になったらどうしようという不安と、一方で揺らがない「ずっとは一緒にいない」という感覚を、どう自分のなかで落ち着けたらいいのか、わからずにいた。
当時も思っていたし、いま書いていても思うけど、本当、いやなやつだと我ながら思う。そのことだけは、本人にはもちろん、友人含め誰にも打ち明けたことはない。
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ただ、結局は、当時の自分の直感が、あっていたのだと、今となっては思う。のだけれど。