留学後3
就職活動って、独特な時間だ。
入試とか期末試験とか、一斉に同じ日・時期に受け、結果が、合否・偏差値・数値ではっきり示されるものとは違う。
何百万・何千万もの異なる選択肢から、”自分の生き方” をすくい取らないといけない。
しかも、その選択肢はどれも、人生のステップでこれまでで経験したことのないものんなのだ。
会社勤め、大企業、ベンチャー、フリーター、起業、進学…。
イメージなんか、つくわけがない。
なのに、同じ春を、てんでばらばらに、就職先を探すという活動で右往左往することになる。誰かを意識するとつらいし、誰と比較していいかもわからないし、かといって、ひとりではとてつもなく孤独だ。
フランスでは、大学に入った時点で(本当はその前から)どんどん自分の専門性を狭めて深めていくので、就職活動も、基本的にはもうその時点で、目前には具体的な選択肢しか残されない。
例えばジャーナリストなら大学ですでにジャーナリズムを、銀行で働くなら金融を、商社ならビジネスを、学んでいなきゃ、会社にアプローチすることさえかなわないのだ。
そのうえで、ひとりひとりのキャリアはインターンシップから始まる。日本のインターンみたいな「数日間の見学スタイル」ではなく、半年もしくは1年程度の、がっちり仕事(でも給料は安いし福利厚生はない)。インターンという名のお試し期間をとおし、若者は人脈(コネ)を築き上げ、空いたポストにうまくアプライして、パスして、就職…という手順をうまく実現させることを求められる。
日本も少しずつこれまでの終身雇用制度の崩壊とともに就職のかたちも多様化しているが、客観的に見たらまだまだ保守的で、それは一方で、安定していたともいえる。
日本スタイル、もしくは欧米スタイル。
どっちがいいとも言い難い。
日本では、専門性がなくても無限の選択肢が与えられ、入社したあと、”イチから“ 会社で専門性を培える。
一方で、フランスの専門性を自ら培ってから就職していくスタイルは、自身の将来をより具体的に描けるし、何より、”新人” であってもそのひとのプロ意識が違う。
◆〇◆
ただ、私は少なくとも日本にいたし、日本人。
ずっと日本にいる、ずっとひとつの会社にいる、という思いがもともと全くなかったので、普通の就活生のマインドとはちょっと違ったと思うけど、それでもそれなりに手探りで自分の ”社会人としての一歩” を、周囲の仲間たちとともに模索した。
その結果。
私はRと同じ会社に入ることになった。
それは、偶然ともいえるし、もしかしたら必然だったのかもしれない。Rがこの企業を志望していたことは知っていたし、私はある種、Rをとおしてこの会社のことを知ったから。
Sは、ひとつの業種にしぼって挑戦し、最後の一社(でもその業界では最大手)に決まった。
それぞれの道のりは紆余曲折あったが、それぞれ、”納得したうえで” 社会人としての一歩を踏み出すこととなった。
〇◆〇
あとはもう、学生生活を再び謳歌するだけだ。
卒業論文や卒業旅行、春休み、バイト、送別会。
東日本大震災直後に予定されていた大学の卒業式はかたちを変えて「青空卒業式」となったけれど、それでも、私たちは、その当時できる最大限のモラトリアムを謳歌した。
Sとは、旅行したり、遠出したり。
Rや友達と、たくさん遊んだり。
なんの問題もなかった。
東日本大震災が起き、それでも、私たちの日々は、幸いなことに少しの影響のみで、続いていった。
そして、私は、東北へ行くことになった。
それでも、RもSも、変わらぬ関係が続いていくと思っていたし、じっさい、離れても、続いていた。