取材をする立場としての葛藤とつぶやき。
またご無沙汰していて、いますごく精神的に余裕がなくて、でもいまのところ待つしかなくて。
なので、最近、あるひとの一言でふっと久しぶりに感じた「もやっ」をここに吐き出しておこうかと思う。
(吐き出す、なんてことばを使っているのもたぶん、やっぱり心の余裕がないから。余裕がないと、とたんにじぶんの弱さが出てくるのですよね・・・)
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先日、同業者のひとたちと、食事の機会があった。
そのひとたちを、私は仕事の面からもとても尊敬していて、ひととして大好きだ。
話の最後に、一緒に食事をしたひとのひとりに、東北について、聞かれた。
どうやら、取材をしたいと考えていて、私の知っているひとや場所を教えて欲しいと。
それはとてもうれしいことで、知っていることを思いつくままに伝えた。
(でも、基本的に、そのひとのびびっとすることと私のびびっとすることが重なることって珍しいと思うし、私がつらつらとあげても、私の本当に知っていること・感じていることは伝わっていないと思う。)
「できれば、その土地の生活に実際に入って知りたいんですよね」と彼女は言う。
その言葉尻に、民家など一般の方で泊めてくれるようなひと、という意味合いを感じた(これま仕事の場をともにした機会に、彼女の人との接し方や関係の作り方を見て、そういうスタイルなんだろうな、と思ったから)。
ただ、私の知っているお世話になったたくさん方々を、本人たちの意向も最近のことも把握しないままに紹介することには抵抗があって、当たり障りのないひとや場所を挙げるにとどめた。
来週にでも行くことになりそうで、と笑う彼女。
食事の最後に、何気なく、「わたしきっと、すぐに泊めてもらう家を見つけると思います」ってにっこり言っていて、私は、ああ、きっとそうだなあ。と思った。
彼女はきっと、あのひとなつっこい笑顔と無邪気さで、きっと東北にまたあたらしい”家族”を見つけるのだろう。
と同時に、じぶんのこころが小さくずきっとして。
わたしは東北にいるあいだ、ほとんど、取材先の家に泊まることはなかった。もちろん何度かあったし、いまでもいつも会いに行く大事なひとたちは東北にたくさんいるのだけれど。
子どものころからずっとひとに甘えることが苦手で、あまりにもお世話になることに対して、申し訳ない気持ちになってしまうのだ。
そして、やっぱり何より、彼らが生活を立て直すのにさえも苦労しているようすをずっと見てきたから。
漁師や農家や、地元の行政。
働いて、稼いで、つつましくも豊かな生活をしている東北のひとたちをおそった東日本大震災は、彼らからほんとうにたくさんのものを奪った。
着の身着のままで生き延びたひとたちは、あらゆる生活品を買いそろえ、家を修理し、もしくは再建して、ようやく生きてきた。
そのようすを間近で見てきたからこそ、食事一回をごちそうになることも、とても、恐縮するのだ。話している中で、彼らが貯金をすこしずつ切り崩して生活していることを、耳にするから。
だから、わたしは、どうしても彼女みたいな根っからの無邪気さを持てない。
じぶんひとりの食事、とはいっても、じぶんひとりの水道代、といっても、すぐに、気にしてしまう。
じぶんのちっぽけさがいやになるのだけれど、でも、その感覚を間違っていない、とも、あたまのかたすみでもうひとりの自分が言う。
取材って、相手の懐に入っていくことであって、そこには図々しさが必要だ。
わたしは自分の図々しさを知っている。と同時に、臆病さも知っている。
彼女とわたしは違う。
でも、どうしても、東北で聞いたたくさんのひとたちのつぶやきがいまも耳に残っているわたしは、「泊めてもらおう」って、簡単には言えなくて。
どっちも間違っていなくて、どっちの選択もいいと思うのだけれど。
じぶんにないものを、うらやましがっているだけなのかもしれない。