森の日記

見たこと、知ったこと、感じたこと。

"貧困率低下"と昨日書いたパリ18区のもうひとつの現実

きのうのブログでは、フランスのメディア各社で発表されたパリの貧困格差拡大の記事のひとつを中心に書いた。そしてその中で、パリ北東部の18区は富裕層が移り住んできていることで貧困率が低下している、と述べた。

 

 

mori-kei05.hatenablog.com

 

それ自体はIAUが発表していることだし、全体の調査結果として、事実なのだろう。

でも、正直それは、私自身はなんだか違和感があった。なぜかというと、パリへ去年9月にやって来たとき、18区で目にした光景がずっと心に残っているからだ。

 

パリ郊外にあるシャルル・ド・ゴール国際空港からタクシーでパリ市内に向かう際、高速を降りるのが、ちょうど18区の端っこ、市内と市外を分ける境目のあたりだ。地区は、ポルト・ド・ラ・シャペルという。

空港から市内までは車で30分ほど。道すがら、久しぶりに訪れたフランスの町並みをぼーっと眺めていた私は、タクシーがポルト・ド・ラ・シャペルで高速道路のなだらかな坂を下り信号で止まったとき、窓の外に広がる光景に、一瞬混乱した。

「あれ、ここ、フランスだよね?」と。

 

すすけた服を着たアラブ系の家族や子ども、若者が、車の脇をすり抜けて歩き回りながら、花や新聞を売ったり、小銭をせびったりしていたのだ。

 

ストリート・チルドレンや路上生活者などが人々に施しを求めるようすは、これまで訪れた国々(フィリピンやモロッコ、バングラデシュなど)で少なからず目にしたことはあった。けっして看過してはいけない現実ではあるけれど、その重さも含めて、少なくとも、こうした不条理があることを「知っては」いた。

 

でも、10回以上訪れているフランスで遭遇したのは初めてだったのだ。

そのとき私は恐怖を感じた。これまで訪ねた国では決して抱いたことのなかった種類の感情だった。もしかしてドアを開けられたらどうしよう、と、はっとカギが閉まっていることを確認した。

そのすぐ後、とっさにとった自分の反応を、本当に情けなく、恥ずかしく感じた。

 

ただ、それほど、ポルト・ド・ラ・シャペルの路上の光景はフランスの町並みのなかでその空気そのものからして、"異様" だったのだ。

 

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その後、じっさいにパリでの生活を始めてからニュースなどを調べてみたところ、

  • 2015年以来、フランス国内にやってくる難民・移民が増え続けていること、
  • イギリスを目指す難民・移民たちがドーバー海峡を越えようと集まってくる海辺の町カレーの「不法な難民キャンプ(通称ジャングル)」が解体・撤去されてから、追い出されてパリに戻ってきた人々が少なくないこと、
  • そうした人々のためにポルト・ド・ラ・シャペルに設置された臨時の難民・移民収容センターが、あまりに増える難民・移民を収容しかねて去年夏(私が到着する直前)に解体されたこと

などが分かった。

 

「難民キャンプ」や「収容センター」は "撤去"や "解体"できるかもしれない。

でも、人間は、撤去も解体もできない。難民や移民たちがいなくなるわけじゃない。

それで大丈夫なのか?というのが、私の疑問だったのだ。

 

そんな自分のひっかかりが解決されぬまま8か月近くがたったのだが、つい先日、この地区について真正面から取材した記事を見つけたのだ。

 

premium.lefigaro.fr

 

「パリの玄関口にある地獄」とでも訳せるだろうか。

 

ただ・・・今日はもう結構長く書いてしまったので、

きょうは、ここまで。

この記事については、また明日。